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世界遺産イースター島のモアイや岩絵をレンタカー観光!民族ダンスショー!チリ旅行記

アフ・トンガリキの15体モアイモアイで有名なイースター島は悲劇の歴史により謎だけが残されてしまいました。この時期、昼は暑いけど夜は快適でした。

ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!


さてクイズ!ゆめぽろ丼。またまた丼の問題です。イースター島で食べた丼ぶりは何だと思いますか?チリでは魚貝類をあちこちで食べてきましたが、この魚は他の場所では見かけませんでした。日本でもおなじみの魚で、刺身で食べるのが私は好きです。

イースター島の歴史も記事に書いたので参考にしてください。

4/21、早朝起きるとまずタハイへ日の出を見に行きました。でも太陽は島の逆側から昇るので、残念ながらこの辺りから日の出は見えません。しかしモアイに陽が当たっていくのでそれを見るのも良かったです。タハイにあるモアイを写真撮影するなら、この時間帯がベストかも。昼、夕方は逆光になりやすいので。
この日は昼過ぎから、同じ宿の日本人たちと4人でレンタカーを借りて島内を観光することにしました。村の大通り沿いにあるレンタカー屋を廻ってみると思った以上に高かったです。すると外で待ってた地元のおじさんが格安でスズキのジムニーを貸してくれると勧誘してきました。ガソリン満タン付(補充の必要なし)で1日CLP27,000(チリペソ。約6800円)。保険などが心配だったけど破格だったので、安全運転しようと決めて結局借りることにしました。
ルートは1日目の夕陽をアフ・トンガリキで見れるように、島内を中央に横切りながら時計回りでトンガリキを目指します。2日目は同じトンガリキで日の出を見てからラノ・ララクへ行き、最後にオロンゴとラノ・カウ山の火口湖を見てからレンタカーを返しました。1日半は必要だと思ったけど、なんとかぎりぎり1日で全て見終われたので大満足でした!
イースター島のレンタカー 神聖サークルの中にモアイ インカの石組みに似た遺跡
まずは空港から少し南のアフ・ビナプ(Ahu Vinapu)へ。ここのモアイはほとんど顔を下にして倒れたままです。小さい顔だけ?のモアイがバイーナと呼ばれる円形の石の中に建ってます。アフの石組みは隙間がなくインカの石組みに良く似てるため、先住民の中には南米から流れ着いた人もいたのではという仮説もあるようです。手前に建つ赤っぽい像は細身で女性モアイだとも考えられてるそうですが、私は良く分かりませんでした。
その後、アフ・ハンガ・テエ(Ahu Hanga Tee)へ。ここも全てモアイが倒れてます。アフの下から人骨が見つかったので墓として使われた可能性もあるそうです。次はアフ・アカハンガ(Ahu Akahanga)。ここのモアイも全て倒れてますが、顔を上に向けたのもありました。ここではボート型の住居も見つかっています。
それから西へ分岐点まで戻り、島の中央を北東へ横断して行きました。分岐点から逆側の海沿いアナケナ・ビーチ(Playa de Anakena)までは約10km。アナケナは岩ビーチの多いイースター島には珍しい砂浜ビーチです。海水浴も可能なので家族連れなどもたくさんいました。ポリネシアンな南国の島の雰囲気を感じさせてくれます。
そのビーチのそばに建つ7体のモアイがアフ・ナウナウ(Ahu Naunau)です。全て海に背を向けて立った状態に復元されています。発見時は砂に埋もれてたそうで、保存状態がとても良くきれいです。うち5体はほぼ完全な形で、そのうち4体の頭にはプカオという帽子?までのっています。残念ながら昼から夕方にかけては逆光になって写真撮影が難しかったです。
モアイ倒し戦争後のまま プカオ(帽子)もきれい 地球のヘソと呼ばれる球石
ここで発見されたモアイの眼は、現存する唯一の完全な眼だそうで、今は博物館で見ることが出来ます。すぐそばの丘に建つもう1体のモアイは、アナケナ・ビーチに上陸したと言われる伝説の王ホトゥ・マトゥアをかたどったものだと言われています。彼の一族は最初にイースター島を統治しましたが、その後やって来たハナウ・エエベ族がモアイ倒し戦争までは統治したようです。
次に少し南下してアフ・テ・ピト・クラ(Ahu Te Pito Kura)へ。ここでは実際にアフに建ってたモアイの中で最大のものを見ることが出来ます。全長約10m。残念ながら今は倒れたままですが。巨大なプカオもそばに落ちています。
近くにテ・ピト・オ・テ・ヘヌア(地球のヘソという意味)もあります。球形にきれいに削られた大小5つの石が、小さな石によって守られるように円形に囲まれています。ホトゥ・マトゥア王が持ってきたという説もあるようです。球形の石は磁気を帯びてるので方位磁石を上に置くと狂った方角を示すそうですが、うまく確認出来ませんでした。
次に少し南下するとパパ・バーカ(Papa Vaka)の看板を見つけたので寄ってみました。そこの地面の岩には様々な模様や魚、神などが描かれた岩絵を見ることが出来ました。イースター島のモアイ以外の遺跡はあまり知られていないので興味深かったです。モアイを作った人達が描いたものなのか、それより先住民なのか、スペイン人が到来した後なのかは判明してるのでしょうか。
トンガリキの岩絵は独特 トンガリキの15体モアイ トンガリキのモアイと馬
更に南下するとイースター島のハイライトであるアフ・トンガリキにたどり着きました。ここでは大きなアフ(祭壇)に建てられた15体ものモアイ像を見ることが出来ます。全て内陸を見つめています。これだけ多くのモアイが建つ場所は他にはありません。威風堂々と胸を張って建つモアイ達が眺めてきた風景・歴史が解明される日は来るのでしょうか。
ここのモアイ達もモアイ倒し戦争や地震によって崩壊状態にありました。それを修復・復元して全て建てたようです。その時に日本のクレーン会社・建設会社なども協力したそうです。海が東側にあるため、日の出を迎える時に太陽がちょうどモアイの背面から昇ってくるため、サンライズ・ポイントとしても有名です。私たちはサンセットをここで迎えましたが、やはりそれほどきれいにはなりませんでした。
アフ・トンガリキのモアイより少し内陸側には、パパ・バーカと似たような地面の岩絵もありました。またすぐそばの道路沿いに建つモアイは、なんと唯一日本へ来たことのあるモアイだそうです。1982年の大阪エキスポ開催時に展示されたものらしいので、もしかすると私も子供の時に見てるかも知れません。太陽が沈むと宿へ帰りました。
4/22は、早朝の暗いうちから車で出発しました。村を出ると街灯はないので車のライトだけが頼りです。途中、馬や牛が道路へ歩いてきたり、道端で寝てたりするので、ゆっくり走ってないとぶつかりそうになります。スクーターならもっと怖いと思います。
ラノララクの座ったモアイ ラノララクの製造中モアイ ラノララクの放置モアイ
アフ・トンガリキに着いた時はまだ真っ暗でした。やがて空が白み始めました。しかし日の出の方向には雲がかかっていて、太陽を隠してしまいました。だから残念ながら日の出を背にした15体のモアイは見れませんでした。でも陽光を背にしたモアイ像も充分きれいでした。モアイを作った人達は毎朝、この光景を見ながらお祈りでもしてたのでしょうか。
その後、モアイ製造地のラノ・ララク(Rano Raraku)へ。島内のほとんどのモアイはこの山で切り出されて運ばれて行ったようです。既に完成して建ってるモアイや顔の一部が地面に埋まってのもあるけど、製造途中や運搬中に放置されたものもいっぱいあります。その乱雑さは子供がおもちゃで遊び飽きてほったらかしにして帰宅した後のように見えました。
エル・ヒガンテ(El Gigante)と呼ばれる島内最大規模のモアイは、まだ顔の部分だけしか削れてませんが、完成してたら運ぶのが大変だったでしょう。それを見ると製造過程が想像出来ます。また山の右手では、島内唯一の座っているモアイ、トゥク・トゥリも見れます。ちょこんと正座?して足に手をのせてる様子は日本的にも見えます。そんなのも含めて約400体ものモアイがこの場所にはあるそうです。
キリスト教と土着との融合 プカオ製造工場 唯一海を見てるモアイ7体
次にハンガロア村の方へ戻り、プカオ製造地へ向かいました。途中、変な宗教祭壇を見つけました。マリア像や十字架っぽいのが飾ってるのでキリスト教のように見えるけど、岩絵が描かれた石やカエル顔のような赤石や中途半端な十字架など、明らかに土着宗教の色が濃い祭壇のように思えて興味深かったです。
プナ・パウ(Puna Pau)は、プカオ製造地です。プカオとはモアイの頭に乗っている帽子かマゲのようなものです。赤色凝灰岩を削って造られているので赤いです。もちろんモアイよりは小さいけど、最大のものは約27トンに達するそうです。付近には製造途中のプカオがいくつも残っており、ほぼ完成形のも転がっていました。
そこから北上してアフ・アキビ(Ahu Akivi)へ。ほとんどのモアイ像は海を背にして村を見守る形で建てられているけど、ここに復元された7体だけは海を見つめています。プカオが乗ってないのでかなり初期に造られたものだと考えられ、祖先がやってきたポリネシアの島を見つめているとも、伝説王ホトゥ・マトゥアの7使者を表しているとも言われています。
偽者モアイを発見! 食人洞窟には壁画も! ラノカウ山の火口湖は巨大
そして最後はラノ・カウ山へ。途中、農地っぽい場所に、とてもきれいな小型のモアイ像5体を見つけました。明らかに複製です。最近、誰かが造ったものだと思いますが、何の目的でしょうか?。博物館などに飾るものなのか、ここに小さなテーマパークでも作るのか不明です。日本でも城を造った人がいるように、個人の趣味なのかも知れません。
ラノ・カウ山の手前で、まずアナ・カイ・タンガタ(Ana Kai Tangata)へ。食人洞窟という意味らしいけど実際に人を食べたという証拠はないそうです。人を飲み込むような洞窟ということなのでしょうか。またはオロンゴ儀式のための人選をした場所とも言われています。天井には鳥人伝説にちなんだ壁画が見られました。
ラノ・カウ山(Rano Kau)は島の3つの休火山のうちの1つです。約250万年前に噴火して島を形成しました。その火口は今では、直径約1500mもの巨大な火口湖になっています。その湖に空や雲が写ってとてもきれいです。ちなみにここまでなら車がなくてもハンガ・ロア村から歩いて行ける距離だと思います。
オロンゴ村の石積み住居 オロンゴ村の鳥人?の岩絵 宿近くの5体モアイと夕陽
火口湖のそばにオロンゴ儀式村への入口があります。オロンゴ村へ入らない人は特に請求されませんでした。入場料:CLP5000(チリペソ。約1250円。学割でCLP2500やなぜか無料になる場合も)。
オロンゴ儀式村は、モアイ崇拝、モアイ倒し戦争の後に盛んになった鳥人崇拝のために作られた村です。背の低い丸い形の石組み住居がいくつも復元されています。毎年の実権者を決める儀式がここで行われていました。海沿いの岩には、鳥人、神など様々な岩絵が残っているのを見ることが出来ます。先ほど見た不思議な祭壇のカエルのような絵もありました。
やがて時間になったので空港近くで車を返して帰りました。かなり詰め込みましたが、天気も良かったので充実したイースター島観光が出来ました。ずっと安全運転してくれた、たねさんには本当に感謝です。ビーニャでも一緒だったタカ君とはこの後も数日同じ宿でした。仲間にも恵まれた気持ちの良い2日間でした。この日もタハイで夕陽を見ましたが滞在時で最もきれいに見えたと思います。
その夜、毎週火曜日に開催されるカリ・カリ(Kari Kari)と呼ばれる民族ダンスショーを見に行きました。場所は大通りのメルカドから少し脇道に入った先。分かりにくいので地元民に聞いたり、看板やポスターを見て行くのがいいかも。食事付プランもあるようです。ショーのみ料金:CLP8000(チリペソ。約2000円。CLP10000を値切った)。直前だともっと安くなるかも。でも席は少ないので売切れに注意。
イースター島の民族ショー 水揚げされたマグロの刺身 漁港近くでウミガメ発見!
ショーの内容は、女性の優雅なフラダンス、男性の汗だく筋肉マッチョダンス?、時に叫んだり、地面を叩いたり、歴史のような場面があったりと変化に富んで楽しめました。かなり旅行者向けになっているのはしょうがないことです。観客もステージによばれて踊れました。私も踊ってしまいました(^^ゞ
4/23も、朝のタハイモアイを見に行きました。そして地元の小さな漁船が戻ってきたのが見えたので漁港まで行きました。すると大きなマグロをさばき始めたので眺めてると、生トロの赤身を長く切り取ってくれました。新鮮なのでとてもおいしかった♪ビーニャでも食べれなかった、久々のトロに大感激。
しょうゆとワサビがあればいうことなかったのですが。シーズン中にはこのマグロを買えるようですが、この日のは全てホテルに卸すようで買えませんでした。残念。漁港ではウミガメが何頭も泳いでる姿も見れました。
昼間は宿でのんびりと過ごしました。ミヒノアに泊まってる日本人も遊びに来ました。そして皆で漁港へマグロを見に行きました。この時も残念ながらマグロは買えなかったけど、魚を買いに来てる地元家族と仲良くなって、その家へ招待してもらえることになりました♪教会近くの広い家で、タヒチにも家があるので週末に行くと行ってました。
地元民の家に呼ばれて夕食
漁港で買ってきた魚を煮たり、揚げたりして手際よく料理を作ってくれました。私たちも野菜を切ったりとか手伝いました。完成したのは、具や煮魚のエキスたっぷりの鍋や魚のから揚げなど。アボガド、バナナ、ビールやジュースまでももらいました。とても陽気で気前のいい家族でかなり甘えてしまいました。タヒチやイースター島、日本の話などで盛り上がりました。とっても楽しく貴重な時間を過ごすことが出来てラッキー♪
4/24は、1日中雨が降ってた気がします。宿で日記を書いたりビデオを見たりして過ごしました。夜には金曜開催のマタトア(Matatoa)という民族ダンスショーを見に行きました。入場料はCLP10000(チリペソ。約2500円)と高めです。直前に席の空きがあった場合は学割などでCLP5000で入れるようです。
カリ・カリよりステージは小さいけど、観客との密着度も強くて迫力を感じられました。ポリネシア風の衣装もダンスも基本的にはカリ・カリと似ているので、どちらか一方だけでもいいかも知れません。雰囲気などはこちらの方がいいけど、一度に大勢が踊るカリ・カリの方もいいのであとは個人の好みによるでしょう。マタトアはカリ・カリ以上に早めに行って前席確保がオススメです。
4/25も、午前中は雨っぽかったです。ミヒノアのキャンプ場へ遊びに行くと、イースター島の永住権を持つ日本人に出会えました。この島でホテルや旅行会社などの仕事で働いて暮らしてるそうです。これから雨期ですかねと尋ねると、イースター島は雨期でも3日間雨が続く日は少ないそうなので、晴れた日を狙って観光すればいいとのアドバイスも頂きました。
ミヒノアのキャンプ場では、連日の雨でテント泊の人はバックが水浸しになったりしてました。そしてドミトリーへ移ったりしてたので、私は今の宿を見つけてて良かったなぁと思いました。
イースター島の民族ショー 水揚げされたマグロ
それからミヒノアから少し先にある漁港へ行きました。ここにはこれまでも何度か行ってるけど収穫がありません。マグロシーズン(12~2月頃?)なら、マグロ1匹買って来て宿で飽きるほどトロを食べられるそうです。しかしこの時期は少なくてビーニャで会った日本人達からもマグロはないよ!と聞かされてました。
それでもマグロを食べたかったので、ここや村に近い漁港を何度も訪れました。その度にホテルやレストランへ送られるマグロを見ました。カシラ(頭)さえくれません。悲しそうな顔をしてると地元民がトロやホホ肉などをくれます。それも1つの狙いなのですが(^^ゞ、やはり宿でワサビじょうゆで食べたいと思ってました。
この日も雨が降ってきた中待ってると、大きなカシラを2つただでくれました。とっておきの笑顔でお礼を行って、大雨で水浸しになった長い道のりを歩いて途中、犬に魚を狙われたりしたけど、無事に宿へ帰り着きました。そしてトロ身をかき出して、ご飯を炊いてマグロ丼にし、カシラはアラ煮にして食べました。カシラだけでも充分にお腹いっぱいになるだけ身があり満足でした。この日出発のタカ君にも食べさせることが出来て良かったです。
夕方前にイースター島博物館へも行きました。写真撮影禁止なのは残念だけど、日本語の解説冊子があるので館内は飽きずに見学出来ます。とゆーか、それを読みながらだと数時間は必要になるほどです。イースター島の興味深い歴史についていろいろ勉強出来ますが、中でもほぼ完全形のモアイの眼は必見です。白眼に白サンゴ礁を使うという懲りようにはびっくり。
モアイのそばに虹が2つ! アフパイウリの5体モアイ イースター島の日曜のミサ
4/26も、ほぼ1日中雨だった気がします。宿でのんびり日記やビデオ鑑賞などしてました。夕方前にタハイへ行くと雨の後の虹が出ててとてもきれいでした。夕陽もきれいでしたが、水平線に沈む前に雲に隠れてしまったのは残念でした。
4/27は、まず早起きして、タハイへ行きました。雲が多かったけど、2つも大きな虹が出ててモアイとのコントラストがとてもきれいでした。太陽が昇りきると雲も少なくなってきました。
そして日曜の午前8:30頃からあると聞いてた教会のミサへも行きました。独特の雰囲気かと思いきや別にそうでもなく普通のミサでした。でも最後に島民が親密に手をつないだり抱き合ったりする場面は、狭い島でのコミュニティならではなのかも知れません。島内放送なのかTVカメラも撮影に来てました。教会には鳥人崇拝の像もありました。
この日はイースター島観光の最後の日だったので、島をぶらぶらしたり、民芸品を探してみたり、タハイのモアイを眺めたりして過ごしました。夕方、最後のタハイでサンセットを期待したけど、雲が邪魔して水平線に沈む夕陽は見れませんでした。でもその後の夕焼けはきれいでした。その前に建つモアイ達はこれまでの歴史もこれからの歴史も、冷静な眼で見続けていく覚悟が出来てるように、ある種寂しそうに見えました。本当は私が寂しかったのかもしれませんが。
4/28の朝は、空港へは宿のおじさんが送ってくれました。ちょうど空港へ客引きへ行く場合には送ってくれます。そこでチェックインを済ませて、また映画が見れたりゲーム出来たりして快適なLANの飛行機に乗りました。そしてあっと言う間にサンティアゴの空港へ着いてしまいました。楽しくのんびり過ごしたイースター島の日々もこれで終わりました。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「マグロ丼」でした(^^)/
Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」

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