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失われた都市!インカ皇帝の離宮!インカの橋! in マチュピチュ

マチュピチュ遺跡とリャマペルーのマチュピチュは世界遺産にも登録されていて、インカ皇帝の離宮だったと考えられています。標高約2400m。この時期、昼はかなり暑くて夜は少し肌寒かったです。

ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!

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クイズ!ゆめぽろ丼(解答は本文中)。マチュピチュとは「老いた山や峰」という意味です。いつもマチュピチュ遺跡と一緒に写ってる尖がった山は「若い山や峰」という意味ですが、この山の名前は何と言うでしょうか?。かなり急な階段ですが私は頂上まで登りました。

マチュピチュへの行き方編(写真ブログ)インカ帝国の首都だったクスコ(次回)、南米三大祭りのインティライミ(次回)も参考にしてください。
マチュピチュを横から マチュピチュ遺跡 マチュピチュ遺跡
空中都市マチュピチュ遺跡の概要
1440年頃、当時のインカ帝国の皇帝パチャクティによって建造されたというのが現在最も有力な説です。しかし最も古い建造物は、インカ以前の紀元前まで遡るという説もあるようです。どうやって石材を運んだのか、なぜこのような場所に造ったのかは未だ謎のままですが、太陽観測のため、太陽神への宗教儀式のため、敵から身を守る要塞としてなど諸説考えられています。
その中でも、パチャクティ皇帝を含む王族や貴族のための離宮だったという説が有力ですが、立地選定時に宗教的配慮はあったと思われます。こうした理由から1年中ここに住んでいた住民はとても少なかったと考えられています。頂上には太陽の神殿Intihuatana(インティワタナ。太陽時計)がある。この日時計や遺跡の窓などによって、夏至や冬至の日の太陽の場所が正確に示されるそうだから不思議です。
マチュピチュ周辺には段々畑が続いてて、200種類もの農作物が栽培されていたそうです。特にジャガイモ、ユカ、キヌア、トウモロコシ、コカの葉など。神殿の周囲にも40段もの段々畑があったり、絶壁に近いワイナピチュにさえあります。この辺で栽培してた物は神へ捧げるためとか、神から与えられた物として住民が食べていたとか考えられています。
マチュピチュ遺跡の全景 リャマ君は人気者! マチュピチュ遺跡
意外なことにマチュピチュがインカ時代に利用されたのは、100年にも満たない年月でした。1532年にスペイン人によってインカ帝国が滅ぼされるまでです。その後、40年くらいインカの生き残りが抵抗した潜伏地ビルカバンバと同一だと考えられた時期もありましたが、現在は全く別の遺跡がビルカバンバだと結論付けられています。
マチュピチュが誰からも忘れ去られてから、約400年後の1911年に、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって廃墟になった遺跡として発見されました。そして彼によって発掘調査が繰り返され、世界に紹介されました。「マチュピチュ」の名称も現地人に聞いて付けたそうですが、これは「老いた山・峰」という意味で、遺跡のある山の名前を遺跡名だと勘違いして付けたと言われています。
発掘調査が終わると、観光地として脚光を浴び始めました。1983年にはクスコと同時にペルーで最初の世界遺産の複合遺産として登録され、ますます世界中の旅行者・バックパッカーのあこがれの遺跡となって現在に至ります。
ワイナピチュの入口 ワイナピチュ遺跡を降りる ワイナピチュからの眺め
2008/6/18の朝、開門とほぼ同時の6時過ぎに入場しました。まだ辺りは薄暗かったけど、そういう状態で見てもマチュピチュ遺跡は他の遺跡とは別格だと分かりました。ゆっくり見学したかったけど、最初の目的地は奥にあるので真っ直ぐそちらへ向かいました。一番奥の聖なる岩、パチャママ神殿に到着したら既に日本人2人と欧米系男女の4人が並んでいました。ここが「若い山・峰」の意味を持つワイナピチュの入口です。午前7時に開門です。
ワイナピチュはマチュピチュ遺跡の背後にそびえる標高2630mの山で、よく見るマチュピチュ写真には必ずと言っていいほど写ってる先の尖がったあの山です。上から見るマチュピチュの眺めもまたすばらしいです。かなり急な階段を登ったりするので、年に何人かは落ちて死亡事故も起きてるとか。最近は午前と午後に分けて入場制限してると聞いたので急いで並んだのです。
ワイナピチュからマチュピチュ マチュピチュの居住区跡 マチュピチュの段々畑
7時少し前には開門してくれ、帰らない人をチェックするために名前を貴重させられてから登山開始。死人が出ると聞いたので最初はかなり用心して登ってましたが、それほど危ないという印象は持ちませんでした。雨の日は注意した方がいいかも。約40分で頂上にあるインカ遺跡に到着。そこからマチュピチュ遺跡を見下ろせます。コンドルの形かどうかはよく分かりませんでしたが、山のてっぺんの不安定な場所に造られてるのが分かりました。
雨期には霧がかかってて遺跡が見えない日もあるとか。でも写真家が撮影した霧の隙間から見える幻想的なマチュピチュも見たかったので、少しくらい霧が出て欲しかったなと贅沢なことも考えてしまいました(^^;。しばらく頂上の岩に座って回りをぼぉーと眺めてました。本当に感動的な光景です。マチュピチュやこの山にさえ遺跡を作ったインカの人達も、きっとこの景色が気に入ったので苦労して築いたのだと思います。
気がつくと頂上は観光客でいっぱいになってたので遺跡を見ながら下山することにしました。ワイナピチュの裏には月の神殿と呼ばれる洞窟内部のほこらもありますが人通りが少なく、1人で行った人が強盗に襲われたという話も聞いてたのであきらめました。マチュピチュの太陽の神殿と対になるものらしいので、4人くらいたら行きたかったのですが。。
びっくり子リャマのジャンプ マチュピチュ遺跡の全景 マチュピチュ遺跡
ワイナピチュの下山途中で、Huchuypichu(ウチュイピチュ)の看板を見つけたので行ってみました。往復20分あれば行けるくらいの距離です。ここからはマチュピチュを横から見れたり、ワイナピチュも横から見れます。よくあるマチュピチュの写真で、ワイナピチュの左隣にいつも写ってるあの山です。下山して門まで来ると貴重したノートに無事生還したことを書いてマチュピチュ観光に向かいます。
まず入口まで戻ってスタンプを押しました。それから入口すぐの左の道を登って行き、見張り小屋と呼ばれる場所まで行きました。この辺からだと定番のマチュピチュ全景写真を撮影出来るのです。太陽の方向を考えると午前早めか夕方に来て撮影するのが逆行にならずベストだと思います。ワイナピチュからの眺めもすばらしかったけど、遺跡を見るにはここからが最高。やっと来たんだーと思うと涙が出そうになるくらい感動的な光景です。しばらく見とれて、また写真撮影。一体何枚同じような写真をうつしたことか。
そしてこの辺りにはラクダ科のリャマもたくさんいるので、マチュピチュとリャマを一緒に撮影するのも狙えます!。動いてるのでなかなか難しいけど。子リャマもいたので観光客に大人気でしたが、あまり近づきすぎると驚いてジャンプして逃げます。その姿も超かわいい♪のですが。かなりモコモコでアルパカっぽいのもいて人気でした。
マチュピチュ遺跡の全景 マチュピチュ遺跡の正門 マチュピチュ3つの窓神殿
そしてマチュピチュの正門まで降りて行き、いよいよ遺跡見学です。まず石切り場と呼ばれる岩を積んだ場所があります。そこを超えるといくつか石組みの建築物があり、広場に入ります。そこに主神殿があります。この神殿の周りの石組みは見事です。ただ神殿には隙間があって傾いているので、補修か何か対策を施さないと崩れそうで心配です。
インカ帝国の創始神話の1つとして有名な、3つの窓の神殿もここにあります。神話では3つの窓(タンプ・トッコ)から8人の兄弟姉妹が生まれ、その1人のManco Capac(マンコ・カパック)が初代王としてクスコを支配したと言われています。彼の妻、ママ・オクリョもこの8人の中の1人です。
更に少し登った場所にIntihuatana(インティワタナ)と呼ばれる太陽時計(日時計)があります。大きな石を削って作られたもので、柱の角はそれぞれ東西南北を指しているようです。インティライミ(冬至)の太陽の位置もこの日時計で分かるそうです。この日はインティライミの約1週間前で太陽の位置も冬至に近いため、どのツアーでもかなり盛り上がっていました。石に手をかざすと太陽パワーをもらえるそうなので私も試してみました(^^)
インティワタナ(日時計) マチュピチュ遺跡 マチュピチュ遺跡の階段
そこから少し下っていくと朝一で行ったワイナピチュ入口に到着。そこから北側の別ルートで戻ります。今度は居住区などを通ります。マチュピチュは王族・貴族のための避暑地だったと考えられてるのであまり多くの人は住んでなかったようです。貴族の居住区は大きな石で隙間なく、庶民のは小さな石を適当に積んでるのが見て分かります。2つの石臼(いしうす)もありますが、数が少ないので別の用途だとも考えられています。
その先にはコンドルの神殿があります。その名称はコンドル型の石があるからとか、切った石の形がコンドルの羽に見えるからとかだそうです。その地下は牢獄だったとか。その先には水汲み場と呼ばれる水路があります。インカは水路整備を大切に考えていたそうです。大帝国を築くためには水と食料(段々畑)の管理力で決まるのでしょうね。
そこから登るとミイラ安置所があり、曲線が美しい太陽の神殿も見えてきます。角張ったマチュピチュ遺跡の中では異彩を放った神殿です。最後に唯一の2階建て建築の王女の宮殿を見てから入口へ戻りました。既に12時半。朝から歩き回ってかなり疲れたので少し休憩して、持ってきたお菓子を食べました。
マチュピチュ遺跡の石臼 マチュピチュの太陽の神殿 ぬいぐるみのようアナグマ
それから再び見張り小屋まで登って行き、今度はマチュピチュとは正反対へ向かい歩きました。インカ道を通って奥にあるIntipunku(インティプンク遺跡。太陽の門)へ行きます。途中でアナグマに遭遇しましたが、すぐ逃げて行きました。早歩きで約40分で到着。標高2700mなので息が切れます。ここの遺跡はマチュピチュを見た後では物足りないかも知れません。
しかしここからマチュピチュ遺跡を見てみましょう。来て良かったなぁと思えるかも。マチュピチュが天空都市と呼ばれる意味が分かると思います。山ごと切り取れれば、天空の城ラピュタそのものです。しかも遺跡はもちろんですが、周りの山などの自然の風景もすばらしいです。ちなみにラピュタっぽさを見たいなら、インカ道の途中で見た方がいいと思います。
再び見張り小屋の近くまで戻ると、今度は南(マチュピチュ入口と逆方向)にあるPuente del Inca(インカの橋)に行きました。約20分で到着。片側が崖の狭い道を通ります。観光客がほとんどいないので1人の時は要注意!。インカの橋は期待してなかったけど、実際見るとすごかったです。敵が来ると橋を落とす仕掛けになってたそうですが、普通はそれ以外の場所から侵入してくる気がしますが。ちなみに途中にはマチュピチュ山への道もありましたが時間がなかったので行きませんでした。
インティプンク遺跡 天空の城マチュピチュ インカブリッジはすごい
そして再び見張り小屋へ行くと、マチュピチュ遺跡の全景をまたのんびりと眺めました。朝と同じような写真をまたバシャバシャ写してしまいました。こんなに去るのがつらい観光地は今まであったかなー。まだまだゆっくり見てたかったけど、ついにお別れの時が来ました。さようなら、失われた都市マチュピチュ。そして永遠に崩れないでほしいです。本当に毎年少しづつ崩れてるそうです。本当に後ろ髪ひかれる思いで下山することにしました。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「ワイナピチュ」でした(^^)/
Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」

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