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世界遺産イースター島/ラパヌイのモアイに秘められた悲劇の歴史!チリ旅行記

モアイ背面の壁画モアイで有名なイースター島は悲劇の歴史により謎だけが残されてしまいました。この時期、昼は暑いけど夜は快適でした。

ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!


さてクイズ!ゆめぽろ丼。イースター島では部族の力を示すためにモアイという巨石像を建てて信仰してきました。強風が吹くため木像ではなく石像にしたと考えられています。この巨石信仰のあとには、あるものの崇拝が広まりました。毎年の過酷な儀式ゆえに長続きしなかったようです。一体何を崇拝したのでしょうか?

【イースター島の概要と歴史】
イースター島は、南米チリから約3700km以上、タヒチからも約4000km離れた孤島です。約300万年~4000年前までの間に海底火山が3度噴火して出来た島だそうです。今は3つの休火山が三角形の島の頂点に位置しています。1年中温暖な気候だけど、木が少ないためか風が強いです。にわか雨も多いので、暑い日でもちょっとした上着や傘以外の雨具なども用意した方がいいかも。
モアイを造った人達は200~500年頃、ポリネシアからカヌーで渡って来て、先住民を滅ぼし定住したという説が有力です。南米文化の影響も少し見られるのでそちらから流れ着いた人も混じってるかも知れません。モアイ製造は700年代から始まったとされます。そのために森林破壊が進み、農作物収穫減や漁業用の船製造難をまねき、人口増を支えきれなくなってきたのが約1000年頃からだそうです。やがて部族間争いに発展していきます。
1722年にオランダ人が上陸したのが「イースターの日」(キリスト復活祭)だったので、今も島の英語名称として呼ばれています。ちなみにスペイン語では「Isla de Pascua」(イスラ・デ・パスクア)、ポリネシア語で「Rapa Nui」(ラパヌイ。広大な島)と呼ばれます。世界遺産としては、ラパ・ヌイ国立公園として登録されています。
トンガリキの15体モアイ ラノララクの放置モアイ モアイ倒し戦争後のまま
モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)は1770年から数年間でほぼ収束したとされる部族間戦争です。他部族のモアイを倒すことは、先祖や守り神を倒すようなものです。モアイの眼は各部族の村の方に向けられていて、そこから発する「マナ」と呼ばれる力を封じるために顔を下に向けて倒しました。眼もほぼ全てが破壊されました。
19世紀には捕鯨船などが多く入港し始め、奴隷として連れ去られた島民が全員海へ飛び込んで死亡した事件が起こりました。1862年にはペルー船がほとんどの島民を奴隷として連れ去ったり、戻ったわずかの島民も伝染病を持ち帰ったりして、1877年には約100人にまで減ってしまいました。その時点で、木片に刻まれた島の言語「ロンゴ・ロンゴ」を読める人もいなくなり、島の歴史とともに謎につつまれてしまいました。現在も解読されてないそうです。
モアイ像についても謎のままで、なぜ、またどうやって造られたかは諸説あるようです。部族の祖先を守り神に見立てて造ったというのが有力で、ほとんどのモアイはアフという祭壇に立てられ、海に背を向け内陸(村)の方を向いています。部族の権威を示すためどんどん巨大化していったようです。マナを発するとされる眼の完全体は1つしか現存せず、島の博物館で見れます。プカオという帽子?はいくつかが修復・復元されてモアイの頭の上を飾っています。
ハンガロアの教会の鳥人像 オロンゴ村の石積み住居 オロンゴ村の鳥人?の岩絵
島ではほとんどのモアイが倒された後、鳥人崇拝が盛んになりました。オロンゴに儀式村を作り、毎年7~8月に渡り鳥がやって来ると、マケマケ神の化身「タンガタ・マヌ」を決める儀式が行われました。部族の代表者が2km沖の島を泳いで往復。最初にその島のグンカンドリの卵を持ち帰った部族の族長が、その年の政治・宗教の実権を握れるのです。
しかしチリが領有宣言した1888年には既に儀式は廃止されていました。その後、国立公園として保護され、観光地として注目される現在に至ります。
2008/4/20の昼過ぎ、サンティアゴからLAN航空の飛行機[イースター島への移動手段]で到着しました。空港のカウンターにはいろんな宿や旅行会社の関係者がやって来てます。私は日本人が多く利用するミヒノアという海沿いのキャンプサイトでテント泊するつもりでしたが、もっと安く個室に泊まれる交渉が成立したので、Residancial Petero Atamaイースター島の安宿・ネット]に決めました。宿までも車で送ってくれて楽チン♪でした。

この日はまず宿から歩いて行ける範囲でモアイを見に行きました。TVや本やマンガなどで見て、子供の頃からあこがれだったモアイ。歴史を知るとそれほど古くないことに少しがっかりしたけど、実際にその姿を目の当たりにすると背中がスーッとするような感動に見舞われました!これが長年、夢にまで見たモアイ!宇宙人建造説などが出てきてもおかしくないくらい不思議な巨像です。
宿から徒歩10分ほどで海沿いのタハイ(Tahai)に着きます。まず目に付くのが5体のモアイ(アフ・パイ・ウリ)。ほぼ完全に修復・復元されたモアイ、少し欠けたモアイ、頭のないモアイなどが同じ祭壇(アフ)に建ってて、遺跡っぽさを感じさせてくれます。海に向かって左手へ歩くと、先住民の作った石像(複製?)や背中にきれいな彫り絵のあるモアイなどを見ることも出来ます。
その右手前(海に向かって)に1体だけ建ってるのがアフ・タハイ。更にその右手の眼の復元されてるモアイがアフ・コテリクと呼ばれています。この辺りはモアイの後ろの海に夕陽が沈む、サンセットスポットとしても有名なので、夕暮れ時には多くの観光客が集まって来ます。島内をレンタカーで廻りたいけど同乗者がいない場合は、夕方にここで探してみるのもいいかも。
アフパイウリの5体モアイ 眼が復元されてるモアイ
そして他にもモアイを見たかったので、アフ・テ・ペウ(Ahu Te Peu)まで歩いていきました。道が悪いし暑かったので途中リタイヤしそうになったけど、約1時間半で到着。全てのモアイが倒れたままなので見栄えはしないけど、逆に復元するための人間の手が入ってないので、モアイ倒し戦争の生々しさを実感出来ました。帰りは超疲れてたけど、通りかかったトラックが村まで乗せてくれたのでラッキー♪
ちょうど夕暮れ時だったので、アフ・タハイで初めての夕陽を見るべく待ちました。しかし雲が多くて海に沈む太陽は見れませんでした。ほぼ毎日ここへ夕陽を見に行ったけど、雨や曇りが多くてきれいにに見れた日は1~2日しかなかったです。その後、宿で自炊しました。
この後も毎食自炊しました。何回かは外食もいいかなと思いましたが、観光客用レストランは欧米人向けのが多いし、地元民っぽい食堂も南米料理が本土よりかなり高めで提供されてるだけのようだったので、食料もあったし全て自炊で終わらせました。米・パスタ・ラーメンや野菜・卵など食料は島のは高いので、サンティアゴやビーニャで購入して来ました。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「鳥人崇拝」でした(^^)/

イースター島の観光については、次の記事でくわしく紹介してるので参考にしてください。

Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」

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