ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!
クイズ!ゆめぽろ丼(解答は本文中)。ティティカカ湖の島の人達はインカよりもっと前の時代からここで暮らしてたとも言われています。今も昔と同じように畑を耕し、魚を採って生活しています。島やプーノでも湖で採れるある魚をおいしく食べることが出来ます。さてその魚とは?
2008/7/3の夜、クスコからの長距離バスで到着。私は普通の現地バスを利用したけど、この経路は鉄道でも行けるし、遺跡を回りながらのバスツアーもあります。プーノに着くとバスターミナルからタクシーで目的の宿Manco Capac Innへ行き、チェックインしました。3ソル(約110円)。そして翌日のチチカカ湖1泊2泊のツアーもこの宿で申し込みました。アマンタニ島の民家で1泊、3食付、ウロス島、タキーレ島の観光付で、55ソル(約2,000円)。
プーノは食事のおいしいペルー最後の町だし、クスコでは自炊中心だったので、夕食には久々に外食のおいしいとこを探すことにしました。宿から中央市場は近かったのでその周辺を探してみました。しかし閉まってる店が多くて、ファーストフード、屋台、中華くらいしか選択肢がありませんでした。アルマス広場まで行くと状況は変わったかも知れませんが、プーノは首絞め強盗にあった日本人が多いと聞いてたので近場で決めることにしました。
中央市場の前の、Jr.F Arbutu通りに2~3軒の中華が並んでたので一番客の多い店に入りました。その店の看板の絵を見て「世界くるりん」という先輩旅行者のHPで、この店がおいしいと書いてたことも思い出しました。CHIFA SHANGHAI(上海)という店です。この日は海鮮あんかけヤキソバとインカコーラを食べましたが、これが超おいしかったのでまた来店しようと思いました。計8.5ソル(約320円)はペルー物価では高めですが満足満足♪
食後には、かなり後ろや周りを警戒しながら散歩しました。広場近くは明るいけど、宿の近くは街灯も弱くて暗めでした。夜になると道路に民芸品が並べられる場所がありました。そこでは、民族衣装を着たインディヘナ(インカの先住民)のおばちゃんたちが商売してました。言い値は高いけど、すぐに下がります。同じような品は回りで競争させると下がるけど、限界価格は皆で決められてる感じでした。
結局、何も買わずに宿へ戻ってきたのですが、なんとそこまで追っかけて来たインディヘナおばあちゃんが1人だけいました。私の裾をつかんで、買ってくれー買ってくれーと悲しそうに言うので、さっきの限界価格より更に値下げ交渉してみました。おばあちゃんは少し考えた後に渋々だけどOK!してくれたので1着だけ購入しました。下げ過ぎたので申し訳ないかなぁとも思ったけど、セーター1着が15ソル(約550円)ならいい儲けになったのではないでしょうか。
7/4は、朝7時に宿で荷物を預けてから、迎えに来た車で港へ向かいました。そしてLago Titicaca(チチカカ湖。ティティカカ湖)のツアー開始です。チチカカ湖はペルー、ボリビアにまたがる、世界でも最高地に位置する淡水湖です。インカ帝国がスペインに征服された後、プーノにいたインディヘナ(アイマラ族、ケチュア族など)はチチカカ湖の島々へ追いやられてしまったそうです。だからこの辺は先住民率が非常に高くて、町を歩いてても民族衣装をよく見かけます。
このチチカカ湖ツアーでは船に乗っていくつかの島を回ります。この日は十数人の欧米人も同じ船でした。湖では漁をしてる人達にも出会います。昔ながらの枯れ草で編んだような船に乗って、この湖の名物魚のTrucha(トルーチャ。ニジマス)や、ペヘレイを釣っているのだと思います。その船にも赤い上着、緑スカートのカラフル衣装のインディヘナおばちゃんが乗ってたりします。インディヘナはおばちゃんが元気に働く姿をよく見かけますが、男性は何をしてるのでしょうか?
出発して約40分くらいでIsla de Los Uros(ウロス島)に到着します。このウロス島は普通の島ではありません。トトラ(葦。アシ)を積み重ねて作られた人工の浮島なので地面がふわふわしてて気持ちよいです。思った以上に安定していて、浸水してるような場所もありません。水に使ってる部分が腐ってくるとまた新しいトトラを重ねていくそうです。
そうして出来たウロス島は約40もあるそうで、ウル族の数百人が暮らす島もあります。教会や学校、畑まであり漁をして暮らしています。観光客への民芸品販売は大きな収入源になるため、かわいい子供を座らせたり、老人が編み物をしたりして関心を引こうとしてきます。私もプーノで買うつもりだったトトラ舟の飾りなどを少しづつ購入しました。トトラはここの生活必需品で、民芸品だけでなく本物の舟、家、家畜エサなどにも使われているそうです。
そしてガイドがトトラの説明などをした後、トトラ舟に乗せてくれるというので珍しいし喜んで乗りました。トトラ舟は見かけによらず、とても頑丈です。全く沈む気がしませんでした。船頭のインディヘナおばちゃんが漕ぎはじめて、約30分間、チチカカ湖をトトラ舟でクルーズしました。天気も良くて青空のもとだったので気持ちよかったです。標高的には富士山の上の雲に乗っているのと同じなので不思議な感じです。
ところでこのウロス島間移動のトトラ舟ですが、1人5ソル(約190円)を要求されたので支払いました。払いたくない観光客はプーノから乗ってきた船にそのまま乗って同じ島へやって来ました。少しでも節約したいならそちらの方がいいでしょうし、島にも早く着くのでウロス島での自由時間も長くてうらやましかったです。でもトトラ舟でも船頭おばちゃんが漕ぐ姿や、すれ違う地元民のトトラ舟などをゆっくり見れるのが楽しかったです。
そこから船に乗って更に奥へと向かいました。約1時間半で、それほど大きくない普通の島に上陸してランチタイム。上陸すると、地元の子供たちが湖で洗濯してる姿がかわいかったです。ランチは野菜を煮たもの、焼きチキン、スープ、パン、コーラでした。ちょっと手を抜いてる感じもしたけど、味はまぁまぁ。この島の名前は聞きそびれてしまいましたが、子供たちがいたので無人島ではないようです。民家もたくさん見えたし。きれいな湖に囲まれたいい島です。
そこから約1時間のチチカカ湖クルーズで、Isla Amantani(アマンタニ島)に到着。上陸すると赤スカートに、白地に花柄ブラウスのインディヘナおばちゃん達が出迎えてくれました。どうやらこの人達が今夜のホストマザーのようです。私も合わせて計20人の観光客たちの、今夜お世話になる家が順に発表されました。私達日本人2名はどうやら、役所の人っぽいおじさんの家にホームステイすることになりました。
各自お世話になる家に着いて行きました。私達が泊まる家はアドベ(日干しレンガ)を積み上げて、プレハブっぽい屋根を付けた質素な作りでした。家の前には畑が広がっています。トイレは外の小さな小屋の中にあり、もちろん水洗ではありません(^^;。家族はおばあちゃんと小さな子供が男女1人づつ。男の子はまだ2~3歳くらいで、日本人の私達を口開けて珍しそうに見てました。2階の3つベッドのある部屋が今夜の寝床です。
島内にはビタミン源が少ないと聞いてたので、プーノで買ってきたバナナとリンゴを数個ですが差し上げたらすごく喜ばれました。部屋で少し休憩した後、ツアーの予定どおり15時に広場に行きました。しかしホームステイ先の調整が遅れたからか、全員が揃ったのは1時間後。待ち時間の間、太陽光がつらかったです。標高が高いので太陽が近いからでしょうか?。すぐ側の露店前では昼間なのにCervaza(セルベッサ。ビール)で盛り上がってるおじさん連中がいました。
東洋人が珍しかったからか、ビールをくれたので少し飲んだけど、高地なのでアルコール禁物だと思い1口だけにしました。普段なら人のビールなんて飲まないけど、暑くてのどが渇いてたのと、おじさんたちが幸せそうに酔っぱらってたのでからみたくなったのです。そして16時過ぎに広場を出発。最初から登り道です。羊飼いの少年がいて、羊たちが草を食べていました。
ゆるやかな坂ですが丘をどんどん登って行きました。高地なのでちょっとの坂でもかなり息切れします。欧米人の中には苦しくて休んでる人達もいたほどです。ガイドの話では丘の上には、パチャタタ(大地の父)とパチャママ(大地の母)という2つの神のプレインカ遺跡(インカ以前)があるそうです。今は人口約4000人のアマンタニ島ですが、この島には紀元前から既に人が住んでたそうです。
ツアーではパチャタタ遺跡の丘のみ登りました。坂道はだんだん急になってきて、標高4100m以上もあるため頂上付近ではさすがに息切れします。いくつかアドベの門をくぐってやっと頂上のパチャタタ神殿へ辿り着けました。遺跡といっても門と壁と小さな神殿のみですが歴史はとても感じます。この神殿の中には年に一度の祭り時にしか入れないそうです。
創設神話の1つでは、ティティカカ湖は初代インカ皇帝マンコ・カパックが降臨した地として有名で、インカ時代には宗教的にも重要な場所だったと考えられています。インカ以前の人々も「すべてが生まれた場所」として神聖視していたようなので、先住民にとってはこの湖じたいが母親のように慈悲深い神に似た存在だったのかも知れません。
遺跡のある頂上でしばらく待つと、今日のメインイベントのサンセット(日の入り)が始まりました。遮るものが何もないので、真っ赤な夕陽と眼下に広がるティティカカ湖の景色は美しさを通り越えて感動的としか文章では表現出来ません(^O^)。本当にすばらしかったです!。この景色を毎日見てた古代の人たちが、何か宗教的なものを感じたことは充分あり得るなと思いました。夕焼けもきれいでした。
それから丘を降りてホームステイ先で夕食タイム。少しだけ料理作ってる姿も見学させてもらいました。おばあちゃん(母親?)は子供の世話もあるので大変そうですが手順があるため手伝えそうな雰囲気はありません。自分達の食事は衛生的にはかなり問題がありそうだったので心配しましたが、私達旅行者用のは指導されてるからか、かなりきちんと作っていました。
島の人は肉類はあまり食べないと聞いてたので、スープ、ライス、ポテトフライ、トマト、ジュースの質素なものでしたが味付けは良かったです。日本からするとかなり貧しい暮らしをしてる島民なので、この食事は観光客用として定められた基準内のぜいたく料理なのだと思います。ツアー会社からはいくらもらってるのかと考えてしまいます。少しでも生活の足しになっていれば幸いなのですが。
食後には、島民と一緒に踊れるダンスパーティーに招待されました。ちゃんと先住民の衣装も貸してくれました。女性はスカート、ブラウスなど、男性はポンチョのみ。おじさんに連れられて集会所みたいな場所に連れて行かれると4人くらいの合唱隊がフォルクローレ風音楽を演奏していました。そして島の人たちが私達観光客の異性を誘ってくれるので一緒に踊りました。踊りは島民のを見よう見まねで。最初はみんな遠慮してたけど、最後には自分勝手に踊ってました。
そしてお開き。島には街灯がほとんどないので懐中電灯がないと帰れません。おじさんが1つ持ってたけど、念のため持って行ってたのでかなり助かりました。そしておじさんにお礼を言ってから部屋へ戻って寝ました。電気・ガス・水道はないので明かりはロウソクだけでした。昼は暑かったけど夜は凍えるように寒かったです。ベッドの毛布は暖かくて快適でした。
7/5は、朝6時半頃起きて散歩しました。日の出は残念ながら丘に登るか海へ降りないと見えませんでした。7時の朝食はパンケーキでした。おいしかったけど量が少なかったです。7時半にはおばあちゃん、おじちゃんにお礼を言って、男の子にはバイバイしてから、女の子に船乗場まで連れて行ってもらいました。インディヘナは幼い子供でも仕事を持つ場合が多いですが、女の子の仕事はこれなのでしょう。
船に乗り込むとすぐ出発。約1時間でIsla Taquile(タキーレ島)に到着。人口約1600人の純粋ケチュア民族の島です。上陸するとゆるやかな坂をぐんぐん登ります。やはり標高が高いため、先頭と最後尾の人はどんどん離れて行きますがガイドはお構いなしです。私はそれほどつらくなかったので常に先頭近くでした。眼前のティティカカ湖は真っ青に広がっていました。
歩いてると子供たちが近づいて来て物をねだります。汚い服を着てるのはネダリ慣れてるからか、本当に貧しいのか分かりません。私は何も食べ物を持ってなかったのであげませんでしたが、持っててもあげなかったかも。観光客にもらうことを覚えると楽して稼げるので働かなくなる気がします。しかも子供の方が恵んでもらいやすいので、親が子供を利用し続けるのも良くない習慣だと思います。かわいい民族衣装でとことこやって来て、写真撮影させてお金を稼ぐ4~5歳の兄妹もいました。
約40分ほど登ると広場へ出て、約30分そこで自由時間。民芸品市場の建物があるので買い物出来ます。アマンタニ島やタキーレ島の人達は時間さえあれば編み物をしています。歩きながら編んでるし、道や広場の井戸端会議中にも手を休めません。おじさんが編み物をするのがタキーレの特徴だそうです。そうして編まれた帽子、マフラー、手袋、バック、ポンチョなどは、どれもカラフルで他の場所ではあまり見かけない柄のものが多いです。値段は少し高めですがしっかりした作りだと思いました。
市場にはレジなどなくて、買いたければ品物を持って外にいるおじさんに言うと、番号をチェックしてお金を支払う仕組みです。泥棒なんていないのでしょう。番号によって生産者が管理されてて、売れた商品の売上げ分をもらえるのだと思います。だから外で編んでるおばさんたちも、編み終わったら次々に番号を付けて市場に置いていくのです。合理的というかテキトーというか、市場での働き手はほとんどいらない方法で関心しました。
それからもう少しだけ登ってランチタイム。野菜スープ、焼きトルーチャ、ライス、ポテトフライ、トマト、コカ茶かコーヒーのセット定食。さすがティティカカ湖名物のTrucha(トルーチャ。ニジマス)はとてもおいしかったです。蒸しもあったけど焼きの方がオススメ!。定食は10ソル(約350円)。食事が出来るまでの間、ケチュア族が皆ぶら下げている小さな袋についての解説がありました。これはコカの葉を入れる袋だそうです。
標高が高いアンデス地方ではよく食べたり、コカ茶として飲まれてる葉です。コカインの原料ですが、葉を食べたり茶にして飲む程度なら麻薬作用はないらしいです。それでも日本に持ち込むことは禁止されているので要注意!。ちなみに面白いのは、このコカの葉入れの袋は結婚前後で色が違うそうです。鳥の求愛活動のように、島民の間の婚カツの1つだったのでしょうか(^^)
食後にゆっくりと湖へ降りて行きました。目の前のティティカカ湖はもう見慣れてきたのに、それでもとても美しく感じます。船に乗ると揺れが気持ちよくて少し寝てました。約3時間でプーノ着。また同じ宿Manco Capac Innへ戻りました。夕方に大通りで大市場が開かれてたので古着などを探しましたが、クスコほど掘り出し物はなかったのでペルー音楽やフォルクローレのCDだけ買って帰りました。
夕食はたっぷり食べたかったので、中華CHIFA SHANGHAI(上海)へ再び。2人でチキンロール揚げ、野菜炒めとチャーハンのセットを食べました。インカコーラ、お茶を付けて、1人9ソル(約350円)で大満足!
7/6は、午前中はプーノの町をぶらぶらしました。でもあまり面白い場所はなかったのでティティカカ湖へ行ってみました。休日だったからか人通りが少なくて首絞め強盗を警戒しながら歩きました。湖はあいかわらずきれいだったけど、昨日まで島で見た景色に比べるとかなり見劣りします。それにお腹も空いてきたので帰ることにしました。湖近くには屋外で呼び込みしてる食堂も多かったけどちょっと高めでした。だから少し町に入った場所に安食堂が集まってたのでそこで食べました。
チキン入りスープ、トルーチャフリート(フライ)、ライス、ポテトフライ、トマト、ジュースの昨日とほぼ同じ内容の定食を食べました。トルーチャは小さめで味もやはり昨日には適わなかったけど、3ソル(約110円)という価格は昨日の3分の1以下でかなりお得に感じました。
午後14時からは昨日申込してた、Ruinas del Sillustani(シユスタニ遺跡)のツアーに参加しました。この遺跡はインカ以前のChurajon(チュウラホン文化)から築かれたものだそうで、インカ時代まで引き継がれたそうです。ミニバスでプーノを出てすぐにティティカカ湖とプーノの町を見下ろせる展望地がありました。そして遺跡に到着。アルパカやリャマの群れが、とぼけた顔で出迎えてくれました。
標高4000mを超えているシユスタニ遺跡では、丸い石の塔がいくつも建っています。その石塔の造り方は様々です。丸みの足りない塔などもあります。これはかなり長い期間に渡って築かれてきたためで、その時代によって技術や流行などが違ったからだそうです。この石の建築物はChulpa(チュルパ)呼ばれる墳墓なのです。東の窓の位置だけは冬至の日の太陽光が差し込むように統一されているそうです。その日の太陽を浴びることによって生き返ることが出来ると考えていたそうです。
遺跡が建つ丘の上からは、Lago Umayo(ウマヨ湖)がきれいに広がっている景色を見れます。とても静かな場所です。墓地として選んだ理由が分かります。よく見ると、石塔の側面にトカゲっぽい彫り物が見られました。また大きな岩には亀のような岩絵が彫られているのも興味深かったです。
ツアーではもう1箇所、地元のインディヘナの家にも寄ってくれました。庭というか草原では、アルパカ・リャマをたくさん飼ってて見学させてくれました。アンデス地方ではこれまでもあちこちで見てきたのでもう珍しくはなかったけど、毛むくじゃらの純粋なアルパカは興味深かったです。ただ毛を剃ってないだけではないかという気もしたけど。この毛むくじゃらのアルパカはクスコのワンカーロ市場の家畜市でも見たことがありました。
ガイドが言うには、これ以外のアルパカはリャマとの混血だそうです。ここには混血の子アルパカも数匹いて、とてもかわいかったです。特に目がかわいい!。触らせてもくれました。意外と硬い毛ですが、ベビーアルパカの毛で作られた衣服は高級品になるのです。大切に育てられてる感じがしました。その民家では暮らしぶりとして家の内部や食事などを見せてもらいました。昔ながらの質素な造りでした。食料はペルーが原産地のジャガイモの種類だけでもいろいろあって、豆類やチーズ、クイ(テンジクネズミ)なども貴重な栄養源だそうです。
最後にアルパカ君たちにさよならを行ってプーノへ戻りました。プーノでの最後の夕食には、情報ノートなどでも評判の良いポジョリート(チキン屋のこと)へ行ってみました。この店はEl Rancho(エル・ランチョ)と言って地元でも有名な店です。場所は…忘れてしまいましたが、確か中央市場に近かったので地元民に聞けば分かると思います。
ここのPollo(チキン)の丸焼きは柔らかくて本当においしかったです。もう一度食べたいから連泊したいと思ったほどです。地元の人達でかなり賑わっていました。8分の1チキンとポテトフライ付で4ソル(約150円)。4分の1にすればいいと後悔しました(^^;。満腹にはならなかったので、Ricos Cafeでブルーベリーがのったおいしいチーズケーキも食べました。5ソル。確か大通りのAv.Limaだったと思います。
それから夜の露店や民芸品屋などを巡って、アルパカ・リャマの人形やクッションカバー、お土産のセーターなどを買ってから宿へ戻りました。
7/7は、朝早くにチェックアウトして、タクシー(3ソル)でバスターミナルへ向かいました。そして前日に購入しておいたチケットで、ボリビア、コパカバーナ行きの長距離バスに乗り込みました。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「Trucha(トルーチャ。ニジマス)」でした(^^)/
Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」