ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!
っ(^.^)v。エンカルナシオンはこの時期、昼は暑くて夕方は適温でした。2008/1/25の午前中に、アルゼンチンのポサダスからのローカルバスでパラグアイのエンカルナシオンに到着しました。本当はパラグアイの首都アスンシオンにも行きたかったのですが、ボリビアからは土砂崩れでバスが運行してなくて、エンカルナシオンからわざわざ引き返す時間もなさそうだったので諦めました。
パラグアイはボリビアと同じく、南米では数少ない海を持たない内陸国です。海の変わりにパラグアイ川が交通の要衝として利用されています。先住民はグアラニー族と呼ばれ、今でも国民の多くはグアラニー語を話せるそうです。通貨単位もグアラニー(G.)と言います。
1537年に金を探しに来たスペイン人達が現在の首都アスンシオンに砦を築いてから、1810年の独立まで植民地支配が続きました。1864年の三国戦争で、接するアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイを相手に戦った結果、国土を大幅に失い、人口も半分以下に減ってしまいました。その後も革命、大統領亡命など混乱の時代が続いたが、現在は収まっている状態です。
パラグアイと日本は第2次世界大戦中を除くと良好な関係を築いています。アジア系移民禁止の時でも日本からの移民だけは例外として認められたそうです。1988年までに約7,000人が移住していて、農業開発に大きく貢献してるそうです。パラグアイにはたくさんの日本人移住地区があるそうです。イグアス市もその1つです。
さて、エンカルナシオンでは第一の目的のブラジルビザを発行してもらうため、ブラジル領事館へ行きました。日本人は南米の国々へ入るのに基本的にはビザは不要ですが、ブラジルだけは例外です。エンカルナシオンはブラジルの3ヶ月ビザの即時発行が容易(残高証明、ブラジル出国のチケット、黄熱病イエローカードのチェックがほとんどない)に出来る場所として有名なのです。
ブラジル領事館はバスターミナルの裏にあります。歩いて5分くらい。分かりにくい建物なので地元民に聞くと教えてくれます。申請は午前中のみだそうなので、バスで到着したらすぐに行って申請しました。パスポートと写真を提出して、用紙に必要事項を記入してから申請料のG.300,000(グアラニー。約7,000円)を支払うとすぐにパスポートに3ヶ月マルチビザを貼り付けてくれました。ちなみにイエローカードのチェックだけはありました。
無事ブラジルビザをゲットしたら、バスターミナルで次の都市方向のチケットを購入しました。それからトリニダー遺跡へ行くために、そこの近くを通るローカルバスに乗り込みました。
エンカルナシオンは1630年代にイエズス会が建設してから拡大していったそうです。イエズス会は先住民のグアラニー族にキリスト教を布教するため、周辺に多くの教会などを建設しました。トリニダー遺跡[パラグアイの観光](Trinidad)はそれらのミッション遺跡の中でも保存状態がよく、規模も大きいものです。
私が行った時は貸切状態でほとんど観光客がいませんでした。遺跡は1700年代前半に造られたそうです。中央の教会は屋根が崩れて吹きさらしになってますが、残っている装飾や像などはとても凝っていてきれいです。赤いレンガで造られてるのですが、その色が空の青、大地の緑とマッチしていると思いました。教会の側にはアーチ状の門?や塔が残されています。周辺にはグアラニー族の住居跡や広場を見ることが出来ます。パラグアイの中では数少ない観光名所の1つだと思います。
それらのキリスト教遺跡を一通り見学してから大通りへ出てエンカルナシオンへ戻るバスを待ちました。しかしバスはなかなか来なくて、やっとエンカルナシオンに着いた時には、購入してたチケットのバスが出発した20分後でした。。しかしそのバス会社のおじさんが違うバス会社と交渉してくれて、追加料金なしで同じ目的地へ行けるバスに乗せてもらえました。それ以外にもパラグアイ人は本当に親切な人が多くて感謝☆
次の目的地イグアス市へ行くためには、エンカルナシオンからはまずkm30(30km地点(キロ・トレインタ))で降りる必要があります。イグアス市へは、km41(41km地点(キロ・クワレンタイウノ))や(42km地点(キロ・クワレンタイドス))へ行くローカルバスに乗ります。
それでは、ブエナス ノチェース(Buenas Noches。スペイン語でおやすみなさーい)(-_-)zzz「コテッ」