ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!
クイズ!ゆめぽろ丼(解答は本文中)。アヤクーチョはリマとクスコ(インカ帝国首都)の中間くらいにあるアンデス地方の町です。その近くのキヌアという町では、ほとんどの家である目立った特長があります。その魔除けにもなる習慣は日本とも通じるものがありますが、一体何でしょうか?
2008/6/13の早朝、リマからの長距離夜行バスで到着。バスターミナルから少し歩いてみたけど、歩き方にもロンプラ南米版にも地図がなくて全く分からなかったので、あらかじめ調べておいた候補の宿へタクシーで行きました。その宿の周辺も探したけどやはり一番良さそうだったので、Hostelia Crillonesaに決めました。この宿の屋上からの眺めはとてもきれいでした。
宿では洗濯したり、朝食を食べたりしてから観光に出発しました。まずはきれいなコロニアルの町並みを見て回りました。思ったよりも人が多くてびっくりしました。特に凱旋門と呼ばれる門のある28 de Julio通りはいつでも混雑してます。町の周りは山に囲まれていて、のどかな雰囲気が漂っています。クスコの祭りがなければもう1~2泊ゆっくりしたかったところです。
インフォメーションで情報収集したり地図をもらったりしてから、まずはキヌアの町へ行くことにしました。コレクティーボはアルマス広場から2ブロック東のAv.Mariscal Caceresを南東に4~6ブロック行った先のロータリー近くから出てます。満員になりしだい出発します。3ソル(約115円)。約1~2時間。
Quinua(キヌア)はアヤクーチョから約32Km離れた、標高約3200mの場所にある小さな町です。しかし紀元500年頃にこの地より興ったワリ文化がペルー全域を統治したそうです。その後、インカ帝国、スペインなどに統治されますが、1824年のアヤクーチョの戦いでコロンビア共和国のアントニオ・ホセ・デ・スクレがスペイン政権を倒して事実上のペルー独立を達成しました。
しかし1980年代後半には、アヤクーチョ周辺はゲリラ勢力センデロ・ルミノソの本拠地となってしまい、旅行者が気軽に入れる場所ではなかったのです。治安面でも最悪だったようです。それを打破したのは、南米初の日系人大統領になったフジモリ大統領でした。彼はこの地以外でもゲリラ撲滅や治安回復に大成功しましたが、強引なやり方が批判され辞職に追いやられてしまいました。その後、彼の腐敗政治ぶりがいくつも明らかにされたのは日本人としては残念です。
さてまずは、Museo de Quinua(キヌア博物館)という小さな博物館へ。別名Casa de la Capitulacion de la Batalla de Ayacucho(アヤクーチョの戦いの降伏の家)。庭には戦いの様子が描かれた壁絵があります。そして屋内には当時の戦いで使われた武器や武具、地図、将軍の絵などが飾ってありました。日本人には馴染みの薄い戦いなのであまりピンとは来なかったけど、ペルー人には関が原の戦いのような名合戦なのかも知れませんね。入館は無料。
次に町を歩きましたが、目に留まるのは家々の屋根に飾られている陶芸の置物です。キヌアは陶芸・焼き物の町としても有名なのです。この置物がなんともかわいい♪。たぶん魔除けのようなものだと思います。
置物には教会が多いけど、牛・馬、人間、壷、ハウルの動く城に似たものなどいろいろです。工房もたくさんあって、のぞいても「いいよ」と言われるので何箇所か見て回りました。買いたくなったけど日本へ持って帰るとホコリを被りそうなのであきらめました(^^;
町を通り越して約15分歩くと、土の階段にぶつかります。標高3300mから更に100mほど登ることになるので結構辛かったです。しかし登りきると、独立を記念して建てられた巨大な白いモニュメントを見ることが出来ます。この44mもの高さの塔は、独立に44年の歳月を費やしたことを意味するとか。塔の周りには大砲なども展示されてました。
独立記念塔は自然の山や平原に囲まれているので、塔の上に登るととても見晴らしが良くて気持ち良いです。ただし入塔料:2ソル。塔の周辺は地元民が遊んだりする憩いの広場みたいになってます。プロモーションDVDの撮影っぽいこともしてました。子供たちに日本人だと言うとお金をくれとせびられたりもしました(>_<)。
それからまた歩いてコレクティーボを降りた場所まで戻りました。途中、役所のような場所の中に教会の置物が飾ってあるのを見つけたので、中の係員に断って見せてもらいました。コレクティーボに乗るとすぐ満員になったので出発し、私はアヤクーチョから約22Km、標高約2830mの場所にあるMuseo de Wari(Huari)(ワリ博物館&遺跡)で降ろしてもらいました。コレクティーボ:1ソル。
ワリとは、500~1000年頃にこの周辺を都として栄えたワリ文化圏のことです。まだあまり多くのことは分かっていませんが、最盛期にはペルー全域を支配下に置いた大帝国を築いたとも言われています。アンデス文明では初めて神殿ではなく都市を基盤として繁栄したそうです。同時期にボリビア北部で栄えたティワナク文化と交流があったことは確実みたいです。ワリの支配方法はインカ帝国でも引き継がれ、インカはワリの末裔により築かれたという説もあるようです。
まずは小さな博物館を見学しました。ワリ期の土器や発掘物が展示されています。そして外へ出ると、広い敷地内のワリ遺跡を順番に見て回りました。ワリ遺跡は小さな石を敷き詰めた壁で造られています。門や階段などもありました。広場とその周辺には穴の開いた建物がずっと続いてますが、標識も説明も何もないので何の跡かは分かりません。住居跡のように細かく区切られた部屋もありました。
この遺跡はワリの特徴の都市遺跡なのでしょう。だから派手なピラミッドや神殿などはありません。とてもシンプルで現実的な文化だったのだと思いました。少し先を見ると巨大な長方形の古墳のような小山が見えましたが、これは自然のものなのか遺跡なのかどちらでしょうか?遺跡は広範囲に点在してたので、全て回るのに2時間もかかりました。帰りのコレクティーボはなかなか捕まらず、30分以上は待ちました。博物館&遺跡:3ソル(約115円。学割なし)。
アヤクーチョへ戻るともう暗かったです。アルマス広場の近くでは砂絵を見れました。アレキパで見たのとそっくりです。何かキリスト教関係の日なのかも知れません。夕食は大通り沿いで看板を出してた地元食堂へ行きました。ペンネスープ、Milanesa(牛の薄肉焼き)、ポテトフライ(ジャイガイモ産地)、サラダ、ライス、ジュースのセット定食を4ソル(約150円)で。
6/14の朝、バス会社へ行ってその日発のクスコ行き夜行バスのチケットを購入しました。そしてきれいな町を散策。今までのコロニアル都市とは何か雰囲気が違ってて気に入りました。それからシエスタ(昼寝時間)後の15~17時に閉館するMuseo de Arqueologia Regional Hipolito Unanue(イッポリートウナヌー考古学博物館)へも行きました。
この博物館ではペルーのアンデス文明、特にこの周辺の文明の土器・壷・骸骨・布で包まれたミイラなどを見学出来ます。骸骨はプレインカ特有の脳外科手術の穴が開いてます。ボリビアのティワナク文明などとの関係を地図を使って解説しているパネルなどもありました。アルマス広場からAv.Independencia(別名Jr.2deMayo、Jr.Asamblea)を北東へ約1Km行って左側。大学の構内っぽいとこでした。入館料:2ソル(約80円。学割で1ソル)。
町へ戻ると少し早いけどピザ屋に入って夕食を食べました。久々のピザ(半分)、パスタ(ボロネーゼ)。期待してなかったけどまぁまぁおいしかったです。アヤクーチョは日本人には知られてないけど欧米人旅行者は良く見かけるので、こういう店は多くてしかも高いです。
そして宿へ戻ってバックパックを受け取ってから、バスターミナルへ歩いて行き、クスコ行きの長距離夜行バスへ乗り込みました。翌朝アンダワイリャスという村に着きしばらく待ってからクスコ行きに乗りました。丸1日かけての移動です。しかもかなりの悪路です。もしアヤクーチョに寄らないのなら、リマからイカ経由の道でクスコに行く方が道はましだと思います。ちなみにアンダワイリャスでは、6/17頃に3日間祭りがあるそうです(毎年同じ日かどうかは要確認)。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「屋根に教会などの置き物」でした(^^)/
Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」