ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!
サンパウロはこの時期、昼はそこそこ暑くて夜は適温でした。【2回目の訪問】
2/10の昼過ぎに、ブラジリアからの長距離夜行バスでサンパウロに到着しました。今回は夜行バス移動に疲れたので1泊だけ立ち寄っただけです。先日泊まった鹿児島県人会は日曜のチェックインは出来ないと電話で言われたので、リベルタージ地区にあるペンションナミという日本人宿に泊まることにしました。
宿ではオーナーの目の前でだけど自炊出来るので食事は助かりました。ブラジルは南米の中でも物価が異常に高いのでそうそう外食してはいられません。しかしせっかく東洋人街に戻ってきたので、たこ焼、今川焼きを買い食いしました。本場日本にはもちろんかなわないけど、外国で食べれる中では高水準でおいしいと思いました。
2/11はのんびりして、ネットカフェへも行きました。2/19からの南極クルーズのクレジット引き落としがまだだったのでクルーズ会社に問い合わせてたのですが、結局どちらの不手際か分からずじまいのまま、交渉中に安い部屋がなくなってしまいました。窓とテラス付きのグレードの高い部屋が一番安いと言われ悩みました。しかし一生に一度あるかないかの豪華客船に乗れる機会を逃したくなかったのでEメールで了解の旨を連絡しました。
そして夕方バスターミナルへ行きました。本当は直接出港するブエノス・アイレスへ向かえば良かったのだけど、長距離で移動が疲れることと、あと少し観光したい場所があったことから再度パラグアイへ寄ることにしました。というわけで次の都市シウダー・デル・エステ[日記]へ向かう長距離夜行バスへと乗り込みました。
【1回目の訪問】
2008/1/31の昼前、パラグアイのシウダー・デル・エステからの長距離夜行バスでサンパウロに到着しました。宿はイグアス市のペンシオン園田で紹介された鹿児島県人会へ、シウダー・デル・エステのバスターミナルから電話予約済でした。
ところが、一緒にバスに乗ってた他の日本人5人は宿を決めておらず、友人の知合いの家を期待してたみたいだけどそれもダメだったので、あわてて観光案内所へ行って聞いたり、あちこちの宿へ電話して宿泊先を探し出しました。ただでさえ安宿の少ないブラジルだし、カーニバルの時期でもあったので心配で宿が決まるまで一緒に探しました。
そして結局は私と一緒の鹿児島県人会に泊まれることになりました。メキシコのペンションアミーゴ以来再会したZENさんや、マサさんの知り合いが数人分のベッドを予約してくれてたようなのです。結局みんな一緒に地下鉄に乗ってその宿へ向かいました。
日系人の多いブラジルですが、その多くがサンパウロ周辺に住んでるそうです。現在も日本からの留学生や就労者が多いそうで、その宿泊先として各都道府県の県(都道府)人会があります。特に沖縄、九州からの移民が多かったため、それらの県人会が有名です。ただし旅行者向けには開放してない県人会もあるようです。
鹿児島県人会も最近になって旅行者を宿泊させるようになったらしいです。それなのに私達が出た後に入った人達が夜中騒いだり態度悪かったりしたようで、バックパッカーは積極的に泊めたくないという話も出てるそうです。実は今いるラパスでも人気のあった良宿アウストリアが日本人禁止になっています。数人なら評判の良い日本人旅行者も、群れになるとイスラエル人同様に嫌われがちになってたりします。とても残念なことです。。
さて鹿児島県人会は安宿として考えた場合、間違いなく最高水準です。広いシステムキッチンに電子ジャー、電子レンジ、大きな冷蔵庫。2台のPCでネットフリー、WIFI(ワイヤレスフリー)、LANケーブル装備。新体操が出来そうなくらい広いリビング。中庭にはプール。卓球台もあり。ブラジルではうれしい高セキュリティ。寝室が狭い以外は大満足♪でした。
その日は皆でスーパーへ買い物へ行き、ルウを持ってる人がいたので、日本風カレーライスを作って食べることにしました。買い物後、私はZENさんと一緒に近くの球場へカーニバルチケットブースを探しに行きました。しかし久々の再会で会話が盛り上がったこともあって道に迷ってしまいました。結局ブースは宿の本当にすぐ近くにあったのですが既に閉まってました。翌日11時に開くということでした。
県人会へ戻るとカレーライスだけでなく浅漬けなども出来てて、みんなで一緒に食べました。久々のカレーライス!やっぱり日本のルウはすばらしい!作ってくれた人達も料理上手で本当においしかったです。その場にはマサさん、ZENさんの知り合いの通称「先生」も来てました。先生はブラジルに住んでてカーニバル情報にも詳しいということだったのですが、皆の期待が大き過ぎたこともあり有益な情報は得られませんでした。
その夜は皆でビールなどを飲みながら、リビングで雑談したり、寝転がったり、ネットしたりしてしました。私はカーニバルチケットのことや、サルバドールまでの格安航空券を調べたりしたけど、ここでもあまり成果はなかったです。
2/1はカーニバル当日です。朝起きて食事してると、バスで一緒にサンパウロへ来て、友人の家に泊まってる二階堂夫婦がやってきたので、皆で一緒にカーニバルチケットを買いに行きました。昨晩、無料で見れる方法などを皆で検討したけど結局チケットを購入してメイン会場へ入るのが一番確実だということになったのです。
しかしチケットブースは開いてたけど、かなり高額な席しか余っておらず、側にいたダフ屋?から購入することにしました。それでも1枚R$100(ヘアル。約6,300円)もするので少し考えたけど、結局全員それを買いました。その日は夕方までスーパーに行ったり、ATMでお金をおろしたり、ネットしたりして過ごしてました。そして夕方、メイン会場へと地下鉄で向かいました。
リオのカーニバルは南米3大祭り(他はクスコのインティライミ、ボリビアのオルーロのカルナバル)の中では日本で最も知られている祭りだと思います。地元ではカルナバルと呼ばれ、土着宗教とキリスト教が融合した祭りだそうです。最近は本場のリオ・デ・ジャネイロ以外にサンパウロ、オリンダ(シレフェ)のも有名でブラジル3大カルナバルとも呼ばれています。サンパウロの代わりにサルバドールが数えられることもあるようです。この祭りは毎年2月~3月の間で日程が変わるので要確認です。今年はかなり早くて、2/1夜~2/6の開催でした。
私はサンパウロのカルナバル[ブラジルの観光](Carnaval de SaoPaulo)を1晩見た後、リオへバスで移動して本場も見ました。オリンダも独特らしいし、サルバドールは参加型で楽しそうなので興味はあったけど移動が大変なので諦めました。
サンパウロはブラジルで最初にカルナバルがスタートするからか、町では祭りムードが感じられませんでした。リオのように路上でパレードも見られません。メイン会場で22時過ぎから始まるパレードを見てやっと祭りを感じることが出来ました。
メイン会場は有料です。会場まではバスターミナルのあるTiete(チエテ)地下鉄駅からフリーバスが出てて20分くらいでした。当日午前中にチケット購入してた私達は当然会場に入れるはずなのに、何度やってもマシンが受付けず入れませんでした。そうなんです、私達が購入したチケット全てが偽チケットだったのです!!あせりました!皆呆然としました。
しかし地元民も購入してたので一緒に交渉&逆ギレ&頼み込み作戦を駆使してると係員も面倒になったのか、追加購入なしで入場出来たのでラッキー♪でした。しかも結構前のいい席だったので更にラッキー。
パレードは1組で4~6つの山車(だし)を走らせ、通りを埋め尽くすほどの人数のサンバガール、ボーイが踊りまくります。山車は手抜きが感じられず、回転したり電気仕掛けだったり、動物型のは吼えたりなど面白仕掛けもいっぱいでした。1組約20~30分。それが十数組なので翌日6時過ぎまで続きました。
今年は日系移民100周年なので、100周年記念のパレードグループも出てました。山車も鳥居や城、アニメっぽい?のなど日本文化を象徴するものが出てました。パレードも侍や忍者っぽいのから、オシロイを塗ったバカ殿のような行列まであり面白かったです。サンバガールにも日本人女性が出てました。
パレード中は席に座ることなく立ちっぱなしで、地元民と共に興奮の中、歌い踊り騒ぎ、最高に楽しかった☆です。間違いなく世界一の祭りだと思いました!午前3時を過ぎるとさすがの地元民にも疲れが見られ座りだしたのには少しがっかりでしたが、その分旅行者の私達がパワフルに盛り上げました!
そんな雰囲気もあり、メイン会場ではもはや土着の祭りを感じることは出来ず、旅行者用になり過ぎてて期待はずれな面もありました。また地元民でお金を持ってない人は自分達の祭りなのに見れないことになります。かと言って外部からの旅行者などを冷遇することも出来ず、今の折衷案に落ち着いたという感じがしてなりません。
2/2は午前6時頃にカルナバルが終わり、宿へ帰って寝ました。そして昼過ぎに起きると、地下鉄(メトロ)でリベルタージへ行きました。サンパウロはメトロが発達してて便利なのですが、1乗車R$2~4(ヘアル。約120~250円)で日本並みに高額なので、それほど気軽には利用出来ません。バスは少し安いけど、縦横に走るバスを乗りこなすのは大変そうです。
リベルタージ地区では東洋人街[ブラジルの観光]を楽しみました。1908年に791人から始まった日本移民には沖縄と九州出身者が多かったそうです。現在日系ブラジル人は約130人以上もいると言われ、その多くがサンパウロ周辺に住んでいるそうです。日本の気候に近いからだという説もあるようです。
リベルタージ地区は昔は日本人街と言われてましたが、近年の中国系、韓国系の増加により東洋人街と呼ばれるようになってます。地区には赤い鳥居があり、たこ焼・焼きそば、ラーメン屋、居酒屋まであり、大福餅、鉄板焼き、天ぷらなども屋台で食べることが出来ます。日本・中国食材店も多くて、カレールウ、海苔、納豆、ふりかけ等、海外で欲しくなる物がちょっと高めだけど手に入ります。私はラーメン、餃子を食べましたが超おいしかったです。
宿へ戻ると荷物をまとめてバスターミナルへ向かいました。バスチケットは混雑を予想して昨晩カルナバルへ行く前へ購入しておきました。サンパウロでもあと2晩はカルナバルがあるそうですが、私は本場リオでも見たかったので夜行で行くことにしたのです。そして次の都市リオ・デ・ジャネイロ[日記]へ向かう長距離夜行バスに乗り込みました。
Obligado(「ありがとう」ポルトガル語。オブリガード)、
Boa Noite(「おやすみなさーい」ポルトガル語。ボア、ノイテ)(-_-)zzz「コテッ」