ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!
クイズ!ゆめぽろ丼(解答は本文中)。革命戦士チェ・ゲバラが最後に戦ったのはボリビアでした。そのイゲラ村では民衆の理解を最後まで得られず、命運尽き夢果てたりということになってしまいました。その遺体はある場所でさらされました。その場所とはどこでしょうか。
2008/8/6の夕方、サンタクルスからの長距離バスで到着。朝9時に出発したオンボロバスは未舗装の山道を通りながら走りました。15時頃に通行止めにあい、山道の何もない場所で40分以上も停車しました。どうやら先の道で崖崩れが起こったため時間差による一方通行規制がされてたようです。ボリビアはこのように崖崩れによる通行止めが多いです。半年前にもラパス→サンタクルスの道が大雨の影響で通行止めになり、しぶしぶアルゼンチン経由でパラグアイへ行った覚えがあります。
今回バックパックはサンタクルスの宿に預けてきたので身軽です。宿を何軒か回って、家族経営で一番安くて良心的そうなResidencial Valle Grandeに決めました。町の中心のアルマス広場(1月26日広場)そばにあります。チェックインを終えるとすぐに広場前の博物館Casa Munincipal(チェ・ゲバラ博物館)へ行きました。閉まっていたけどおじさんがすぐおじさんが来て開けてくれました。入館料:10ボリビアーノ(約150円)。
ここにはチェや革命戦士達の生前や死体、埋められた死体が掘り出された様子などの写真が展示されています。かなり生々しいです。ほかに、チェがウルグアイ商人に変装してボリビアへ潜入した姿やその時のパスポートなんかもあって興味深いです。見学後、広場から徒歩10分でCalle Senor de Malta沿いにあるHospital Senor de Malta(セニョールマルタ病院)へ行きました。病院の入口にはチェ・ゲバラの大きな顔と燃える手を上げる民が描かれた大きな絵がありました。
そして案内に従って奥へ入っていくと、庭なような場所があります。そこにあるLavanderia(洗濯場)には、チェの遺体が置かれてさらし者にされたそうです。もちろんその後は使われていないのでしょう。今はチェをしのんで訪れる観光客などが見学出来るように開放されています。前の花壇には草で「CHE VIVE」(チェは生きている)と書かれています。反米を唱え続けたチェを殺害してから40年以上経ちます。現在、皮肉にもボリビアは反米を掲げる国になっています。
チェ・ゲバラはカストロと共にキューバ革命(写真ブログ)を成功させた革命家です。1959年、彼が30代前半の時に日本の原爆ドームを見学し、なぜこんなヒドイ事をしたアメリカに従うのかと言ったそうです。その後、キューバ国内で改革を進めるカストロと別れて、アフリカのコンゴなどで革命活動を続けました。その後、南米のボリビアへ変装して潜入。バジェグランデから2時間ほどのイゲラ村周辺のジャングルで、アメリカ帝国主義に対抗するためのゲリラ活動を続けました。
しかし周辺の農民たちは政府からの報復を恐れて、最後までゲリラには協力しませんでした。結局チューロ渓谷で足を打たれたチェは捕らえられてイゲラ村の小学校へ連れて行かれました。当時、ボリビアには死刑制度がなかったそうですが、大きな見せしめになると考えた政府はチェを銃殺します。その遺体はバジェグランデへ運ばれて、病院の洗濯場に放置され、軍隊・報道だけでなく市民にも公開されました。
そして両手は切り落とされてキューバへ送られてそうです。その後30年間、チェの遺体の場所は公表されませんでした。1997年、ボリビア軍人によってチェが埋められた場所が公表されると、チェの白骨が彫り出されました。現在その場所には立派な建物が建ち、チェと革命戦士達の墓地があります。彼の遺体はキューバへ返送されて、現在はサンタクララの霊廟に安置されています。
夕食は小さなメルカド(市場)のような屋台が集まった場所で食べました。屋台でPOLLO(ポジョ。チキン)の唐揚げ、ポテトフライ、サラダ、ライス、パイナップルジュースで、8ボリビアーノ(約120円)でした。
8/7は、朝起きてから宿をチェックアウトして、イゲラ村へ向かうトラック乗場へ行きました。乗場はメルカド前のCalle Santa CruzとCalle Senor de Maltaの交差点あたりから出ます。日曜と木曜のみだと聞いてたので木曜に合わせて行ったのです。通常は9時頃に出るそうですが、この日は人が集まらず出発する気配がなかったので、前で客引きしてたタクシーと交渉してそれに乗っていくことにしました。
それにトラックで行くと通常はイゲラ村に宿泊することになりますが、タクシーなら日帰り出来るとも思ったのです。タクシーは途中の村までの客を探して乗せてから出発しました。イゲラ村の往復は1台で150ボリビアーノ(約2,250円)。イゲラ村での待ち時間代20ボリビアーノ(約300円)は別料金。荷物輸送用トラックなら片道10ボリ。チェ博物館が開催するツアーは寄ってくれる場所によって、300~500ボリ。
9時半に出発してから未舗装の山道をとろとろ走って、11:30頃に途中の村に到着して他の客や荷物を降ろしました。ここの家にもチェの絵が見られました。12時過ぎにLA HIGUERA(イゲラ村)に到着。バジェグランデからここまでの道はRuta del CHE(チェの道・足跡)とも呼ばれてて、途中に案内標識も立っていました。標高1950mのイゲラ村が最終地点です。世界から観光客もやって来るのに、未だに観光客用のバスすらないのはボリビアらしいです。
イゲラ村は山間のほんの小さな村です。村に入ったら、建物や家々の壁、石碑、立像、顔像、土台上の巨大顔像などチェ・ゲバラだらけです。この村の老人や先祖たちは全くチェを支援しなかったそうですが、今やチェ一色で観光地化されつつあるのというのは皮肉ですね。車の音が聞こえたからか、近くの家から1人のおじさんが出てきました。そしてある建物の鍵を開けて中へ案内してくれました。
この建物こそが、チェが銃殺される直前までの約1日間捉えられていたEscuelita(小学校)です。その後、診療所として使われ、現在はチェ・ゲバラ博物館になっています。10ボリビアーノ(約150円)。ここにはチェに関する写真、資料、年表などが展示されていました。そんなに大したものではありませんが。それら資料よりむしろ、この場所じたいが重要な空間に感じられます。生きているチェが最後にいた空間なのですから。
小学校を出ると、さっきのおじさんがチェの捕らえられた場所まで連れて行ってくれると提案してきました。私は最初からそのつもりだったので了解しました。しかしその話を聞いてたタクシードライバーがやって来て、その場所へ行くなら3時間はかかるので追加料金40ボリだと言ってきました。私はそんなに払えないと言って抗議し、約20分間も議論を続けました。結局40はぼり過ぎだったので、渓谷のガイド料+待ち時間で、35ボリビアーノ(約520円)に負けさせました。
チェが捕らえられた場所La Quebrada del Churo(チューロ渓谷)の入口は、イゲラ村からバジェグランデの方へ少し戻った場所にあります。そこまでタクシーで連れて行ってもらいました。そこからはガイドのおじさんと2人だけで草がぼうぼうと生える道を歩いて奥へ入って行きました。途中、青空がきれいでした。牛がたくさん休んでいる場所もありました。タクシードライバーとの約束時間は短かったので、おじさんに頼んで急いでもらいました。
徒歩約30分で星形が刻まれた場所に着きました。ここがチェが捕まった場所だそうです。その時のボリビア兵士達はアメリカ合衆国のCIAによって鍛えられた人達だったそうです。下まで降りてみると、「CHE VIVE」(チェは生きている)と書かれた石がありました。バジェグランデの洗濯場の草で書かれてた言葉と同じです。確かに現在もチェのファンは多いです。
これは共産主義というわけではなく、彼の生き方に共鳴しているのだと思います。石に書かれた落書き?も見つけました。それから少し名残惜しかったけどタクシーの待つ場所まで帰りました。途中、ガイドがチェや革命戦士達の隠れ場所だったとこも案内してくれました。大きな木の下にレンガで簡単な策が作られていました。道路に戻るとタクシーが待ってなかったので、2人で少し先まで歩いて探しに行きました。
すると少し開けた場所でタクシーを修理しながら待っていました。ガイドのおじさん、マヌエルとはここでお別れです。とても親切に案内してくれました。彼は子供の頃に生きているチェ・ゲバラと話したことがある数少ない生き残りだそうです。そんな彼のガイド料はなんと15ボリビアーノ(約220円)。これはタクシードライバーのおじさんとマヌエルの間で決めたことのようです。ここまで値切ったのは私ですが、なんだか申し訳ない気がしました。でも値切った手前、チップを渡すのも本末転倒だし。
そんな申し訳ない感情を頂きながら、タクシーは出発して、マヌエルにさよならを言いました。バジェグランデのタクシードライバーは欧米人によるチャーターにも慣れてるので、かなり高額要求してくるとは聞いていましたが、他人の取り分まで削りながら自分の利益を確保するのは悪質だと感じました。それにこのドライバーは何かに付けて金のことばかり言ってくるのでかなりうんざりしてしまいました。
それでもバジェグランデに着くまでは我慢と考えました。戻りついたのは18:30頃でした。そこでタクシーに同乗してたおじさんからチェの墓について教えてもらったので、不本意だけど10ボリ追加で同じタクシーでその場所まで行ってもらいました。すると鍵がかかってて入れなかったので、タクシー代は損に終わったけど町へ戻りました。タクシーを降りてから、サンタクルスへ戻るバス会社を3軒くらい廻りました。Calle Santa Cruz付近に集中してます。一番安い(30ボリ)バス会社で翌晩の夜行バスを購入してから昨晩と同じ宿に戻りました
8/8は、朝から大雨でした。だから午前中は宿でじっとしてました。昼前から小雨になってきたので、昨晩バスチケットを買った通り沿いの中華屋へランチを食べに行きました。でも中華は高かったのでボリビア料理にしました。Chuleta(チュレータ)と呼ばれる焼いた豚肉、ポテトフライ、野菜サラダ、ライスのセット定食が10ボリビアーノ(約150円)。味は良かったです。
まだ雨が降ってたので外へ遊びにいけない子供たちがこの中で遊んでました。そして私が日本人だと分かると珍しいからか集まって来ました。そして写真を撮らせてくれと言うと、喜んで周りからも子供が集まってきました。最後にお金を要求されるかと思ってましたが大丈夫でした。どうやらまだここらは観光客が少ないのでそこまでスレてないようです。子供たちは必至に目立とうとしてケンカにまで発展しそうな勢いでしたが、とても素朴でかわいかったです。
16時頃にやっと雨が止んだのでタクシーでFosa Guerrilleros(チェの墓。遺体を埋めた場所)へ行きました。しかし昨晩と同じく鍵がかけられていました。タクシードライバーの一案で町へ戻り、チェ博物館の係員に同行してもらい鍵を開けてもらいました。町から2往復したので当初の交渉代8ボリだったのに、15ボリビアーノ(約220円)も要求されてしまい、しぶしぶ了承しました。でもこのドライバーは鍵の件を最初から計算に入れてたのでないかと思ってしまいます。
チェの遺体が30年間埋められていた場所は、小さな飛行場近くでした。その期間、この場所は一部の軍人しか知りませんでした。町からタクシーで約15分ですが、周囲に家はなくとても寂しい場所です。今は立派な建物が建ち、中へ入るとチェを含む革命戦士7人の墓石がありました。チェの白骨は掘り出されてキューバへ戻りましたが、掘り出されるまでの間はここにひっそりと眠っていたのです。館内にはチェの生前の写真も多く展示されています。入館料:10ボリ。
その近くには同じFosa Guerrilleros(革命戦士の墓)という名前の場所があります。ここには12人の革命戦士が埋められていたそうです。その中にはゲリラ兵で紅一点だったTANIA(タニア。ターニャ)の墓も写真付でありました。他には、ミゲル、ココ、ホアキン、フリオ、ニャートなど。彼らは皆、志半ばで死んだのでしょうか。ちなみにここに寄るとタクシー代が10ボリ増しになりました。
夜9:00まで宿のTVルームでのんびりしてました。宿の家族に日本のことを話したりしてるとすぐに時間がきてお別れしました。そしてオンボロバスは9:30に満員の乗客を乗せて、サンタクルス目指して出発しました。
と言うわけで、クイズ!ゆめぽろ丼の答えは「病院の洗濯場(遺体洗い場だったとか)」でした(^^)/
Gracias(グラシアス。スペイン語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」、
Buenas Noches(ブエナス・ノチェス)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」