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アフリカ文化!格闘技!黒人密教!バイーア料理 in サルバドール(ブラジル)

逆立ち旋風脚はすごい!ブラジルのサルバドール(Salvador)は、正式にはサン・サルヴァドール・ダ・バイーア・デ・トドス・オス・サントスという長い名前を持つ、海沿いの美しい街です。
カルナバルの時期でなくても音楽とダンスにあふれた町です。夜の無料コンサート、逆立ち旋風脚が見れる格闘技舞踏のカポエイラ、黒人密教のカンドンブレ。海もきれいだし魚介類のバイーア料理もおいしい。

ゆめぽろ(@yumepolo)です。こんちはっ!

この時期、昼は暑くて夜は適温でした。

2008/9/1の朝、レンソイスからの長距離夜行バスで到着。大都市なのでバスターミナルも巨大です。ターミナルにある市バス乗場でアキダバ(AQUIDABA)へ行くバスに乗り、アキダバで降ろしてもらう。高架を降りるとキオスコなどが集まる小さな市バスターミナルに出るので、左前に見える坂道・階段を突き当りまで登り、右折してまた左折して突き当たりの教会で左折。右手に22番地の青い建物が見えたらそこがCasa Azul:青い家。セーやジェズス広場からは北東のカルモ教会を目指して徒歩20分。
青い家は経営者は地元民だけど、昔から日本人長期旅行者がよく利用してきた宿です。治安の悪いサルバドールの旧市街にあるので、旅慣れてない人は新市街のホテルに泊まる方が安心かも。でも世界遺産の町並みは旧市街でこそ味わえるし、キッチン、ネットフリー、眺めの良いテラスなど設備が充実してる割りにドミは15レアル(約900円)と安いのでおすすめです。ダブルもあるそうです。
幸いこの時期は日本人の客が少なかったので、ドミ部屋は貸切状態でラッキー♪でしたが寂しくもありました。私が入った日に1人だけ日本人男性がいました。スケボーしながら世界一周という変わった人です(^^)。旅行写真をDVDに焼いてあげると、お礼にとポルトガル語の指さし会話帳などをくれました。これはその後、かなり役立ちましたよ。スペイン語と似てるけど、肝心な単語が全く違うポルトガル語には苦戦してたので。
サルバドールの海と町サルバドールは芸術の町ペロウリーニョ広場
ちなみにこの宿、2月のリオのカーニバルの時期には3~4倍もの料金になるそうです。だからその時期、長期旅行者はアパートを借りて住むのだそうです。青い家の2軒隣には「ナオ宿」という日本人が経営する安宿もあります。私は何度か遊びに行って、管理人のナオヤさんとも話をしました。毎年カルナバルにも日本人団体として出演してて、12月からは毎日練習するそうです。興味ある人は検索で調べてみてください。
朝は晴れてたので宿のテラスからの海をの眺めはきれいでした。そしてキッチンで軽く自炊して食事したり、日本人と話したりして過ごしました。午後に旧市街を見るために出掛けましたが曇ってきました。この時期は1日中降ることはないけど雨が多かったです。宿を出て右手にずっと歩くとセントロです。首絞め強盗の被害を何人も聞いてたので、最初はかなり警戒して歩きました。
Igreja Carmo(カルモ教会)の前を通り、道を下っていくとLargo do Pelourinho:ペロウリーニョ広場に出ます。ここは昔、奴隷市場だったそうです。サルバドールはサトウキビ産業で栄えた町です。その働き手として多くの黒人がアフリカから連れて来られたのです。立地的にもアフリカから船で来やすい場所です。サルバドールでは現在も黒人やインディヘナとの混血が人口の80%を越えます。
日本人の中には、ブラジル人を黒人だと思ってる人もいます。それはこのような人達をTVなどで目にしたことがあるからだと思います。そして教会の多いサルバドールは黒人のローマとも呼ばれ、音楽、料理、衣装、踊りなどアフリカ文化を引き継いだものが多いです。サンバもサルバドール発祥だとか。200年以上も首都として、また砂糖と奴隷貿易で繁栄した後、首都がリオに移り衰退していきました。最近はやっと治安も改善されブラジル3番目の大都市に成長しました。
リオ・ブランコ宮殿大型エレベーターラセルダサルバドール名物バイアーナ
更に進むと、Terreiro de Jesus:ジェズス広場に出ます。2つの教会とCatedral Basilica:バジリカ大寺院に囲まれた小さな石畳の広場です。そばの広場の真ん中には大きな十字架が建っています。この周辺では夜にコンサートなどがよく開催されます。そこから更に左手を真っ直ぐ行くと旧市街の中心地であるPraca de Se(セー広場)に出ます。
セー広場の近くにはレストランや土産物が屋いっぱい。バイーア衣装と呼ばれる白いレースと派手なスカートを履いたおばさん達が記念撮影商売をしています。この人たちの写真を撮影したいと思ってたけど、お金を要求されると小額でも抵抗してしまい、結局1度も撮影出来なかったです。今思えば撮影しとけば良かったなぁ。セー広場から更に歩くとPraca Tome de Souza:トメ・ジ・ソウザ広場に出ます。
そこまでの道の壁にはアフリカンなペイントも見られました。この広場には市庁舎やバロック様式のリオブランコ宮殿などが隣接しています。そして大型エレベーターへの出入口もここにあります。サルバドールは面白い町で、セー広場などのあるCidade Alta:上町と、海に面しているCidade Baixa:下町とで分けられます。下町とは文字通り「下の町」という意味です。上と下をつなぐのがこのエレベーターなのです。
この日はなんだか天気も悪かったので下へは降りず引き返しました。サンフランシスコ教会は閉まってたので隣のオルデン・テルセイラ・ジ・サンフランシスコ教会に入って見学してみたけど、内部には青と白のタイル張りの壁くらいしか見るべきものはなかったです。
サルヴァドールの下町サンフランシスコ教会サルバドールのカポエイラ
9/2は、朝から雨天だったので宿でブログ書いたり、写真整理したり、自炊したりして過ごしました。午後過ぎに晴れてきたので出掛けました。宿出て左へずーと真っ直ぐ突き当たるまで約20分歩いていくと、下町の眺めがすばらしい小さな公園に着きます。その向かいにForte da Capoeira(アンゴラ城とも呼ぶ)と呼ばれる砦のような建物があり、この中にカポエイラ道場がいくつもあるらしいのです。
でもこの日は夜19時頃からということだったので出なおしました。ちなみにCapoeira:カポエイラとはブラジルで生まれた格闘技のようなダンスです。アフリカの土着格闘技が起源だという説や、ブラジルの先住民インディオの格闘技だったとか言う説などがあり、未だ謎に包まれているそうです。現在のアフリカにはカポエイラはないのでブラジル起源説が有力だとか。
黒人が奴隷として扱われていた期間もダンスと見なされ踊ることが許可されていたようです。しかし奴隷制が廃止された後、約40年間カポイエラは危険な格闘技だと見なされ禁止されました。1930年代に禁止令が解かれると、現在のカポエイラの創始者と呼ばれる人が出てきて、サルバドールに道場を開きました。特徴は手ワザはほとんどなく足技が中心です。ジャンプしながらとか、空中や逆立ちしながらの足技が特にすごい!
2人で互いに足技を繰り出しあうのですが、ダンスなので相手にギリギリ当てないようにするのが上級者です。下っぱ同士だと動きもぎこちなく、何度も相手に当てたりします。流派は主に2派あるそうで、より格闘技に近くアクロバティックなRegional:ヘジオナル と、派手さはないけどゆっくりした太極拳のようなAngola:アンゴラ。日本のTVなどでよく見かけるのは前者です。アンゴラ城のは後者。
サルバドール、夜の太鼓隊サルバドール、夜の屋台サルバドール、夜コンサート
夜にアンゴラ城へ行くと、いくつもの部屋でカポエイラの練習をしていました。ここのは全てアンゴラ派なので音楽に合わせたゆっくりとした舞踏です。カポエイラが他の格闘技と違い民族舞踏に近い理由は、音楽に合わせて踊るからです。中でもビリンバウという楽器は独特で、弓のように木に針金を張ったものに瓢箪(ひょうたん)を付けただけのもの。バチで針金を叩いて逆の手で押さえる場所により音程を変えます。瓢箪は音を反響させる役目。
あつ団体の中には日本人男性も踊っててびっくりしました。翌日知ったのですが、それが有名人ナオヤさんだったのです。そのグループの中ではかなり上手な方でした。楽器の演奏もしてました。アンゴラ城では他の部屋で楽器演奏の練習だけとか、カポエイラの型のみの練習などいろいろな道場が開かれていました。日本人が学びに来ることもよくあるそうです。その日も他の日本人が見学に来てました。
カポエイラの道場が終わった後、もう21時半を過ぎてたけど、ジェズス広場へ行ってみました。すると途中の道で太鼓隊?に出会いました。サルバドールの夜にはよくあることらしいです。ほとんどが学生グループらしいです。こういったグループが日頃の成果を公開するのが、2月のカルナバルだそうです。だからサルバドールではカルナバルは特別な日だけど、その日だけでなく日常から音楽と共に暮らしているのです。
ジェズス広場でも小さいコンサートが開催されてて、屋台もいっぱい出てました。これは毎週火曜のイベントだそうです。ブラジルでは屋外でアルコールを飲めるので、アルコール屋台がたくさん出てました。ブラジル伝統のカクテルCaipirinha:カイピリーニャもありました。サトウキビを発酵して作ったラムに似たアルコールに、ライム、砂糖、氷を混ぜたカクテル。「山猫の夏」という小説を読んで出てきたカイピリンガはこれだとか。
魚市場のポルキロ、ムケカサルバドール、ココジュースサルバドール、ココナッツ
9/3も、午前中は雨降りだったので宿に引きこもり。午後前には止んだので、アンゴラ城からもっと先へ歩いていき、坂を下って下町に出てすぐ右手にある魚市場へ行きました。海の町サルバドールでは魚介類が豊富です。ここの魚市場は新鮮で安いらしい。自炊用の魚介類を何度か買いました。でも今回の目的はポルキロのランチ。魚市場の2階の食堂は名物ムケッカとかが安くておいしいらしい。
ちなみにこの日はもう13時前だったため魚市場は半分以上が終了してました。やはり魚市場は午前中かな。そしてポルキロ食堂も食べ尽くされた料理があってショック。ポルキロとは好きな料理を取ってその重さで値段の決まる食べ方。日本の惣菜屋と同じです。安いと聞いてたけどキロ当たり17レアル(1000円)もしました。でも魚介類やバイーア料理が中心でなかなかおいしかったです。味が濃いのでご飯ものを多めにしたら6.5レアルですみました(^^ゞ
食後はそのまま下町を歩いてジェズス広場の下へ向かいました。下町の一番奥の道(上町と接した道)は危険地帯だと聞いてたので、1~2つ海寄りの道を選んで歩きました。のどが渇いたので、Agua de Coco:ココナッツジュースを飲みました。これもブラジルではよく見かけます。堅いココナッツをくり抜いてストローで飲みます。ココナッツミルクの味を期待して飲んだら、全然味が薄いので肩透かしをくらいますが。。
ところでこのルート、見所が全くないし人通りの少ない道を警戒しながら歩くことになるし、距離も長いためかなり疲れます。あまりオススメしません。大型エレベーターまで来ると乗って上町へ戻りました。それから郵便局を見つけたので、レンソイスの宿から持ってきてしまった部屋の鍵を郵送しました。12.7レアル(約750円)の出費は痛いけどお世話になった宿に迷惑をかけることになるので送らなきゃね。
サルバドールは芸術の町美しい世界遺産サルバドールペロウリーニョ広場
9/4は、朝から旅行会社を回って、ベレン→マナウスの航空券とサルバドールでのカンドンブレツアーを探しました。航空券はネットの航空会社サイトで最安値を確認出来るけど、AMEX以外のカードでは買えないため旅行会社に頼む必要があるのです。結局、宿の隣が一番安かった、と言うかネット最安値の値段で手数料なしで買えました。約10日後のチケットなので338レアル(全税込み約20,000円)と高かったけど、1ヶ月前なら半額くらいで買えます。
そしてカンドンブレツアーは、ペロウリーニョ広場の近くのCima通りにある旅行会社が今夜分の叩き売りをしてたので、50レアル(約3,000円)で購入しました。自力でも行けますが調べるのが面倒なこと、夜のサルバドールは治安が不安なことからツアーにしました。それにしても高すぎですが。旅行会社を探したり行き来したり、銀行ATMでお金をおろしたりとかしてると夕方に。
18時前に宿へミニバンが迎えに来ました。それに乗ってカンドンブレへGO!。Candomble:カンドンブレとは黒人密教のことです。アフリカから連れて来られた黒人奴隷はキリスト教に強制改宗させられました。そんな中、アフリカのヨルバ語族の土着宗教や、ブラジル先住民インディオの心霊信仰など複数の宗教が合わせって独自に発展していきました。もちろん表立ってはキリスト教崇拝、しかし実態はカンドンブレ崇拝。
有名なハイチのブードゥー教などもこの1派だそうです。現在は組織化され、ブラジル中で200万人以上もの信者がいるそうです。黒人のみならず、中産階級の白人までも信者になってるそうです。信者は週に1回程度、Terreiro:テヘイロというカンドンブレ教会に集まり儀式を行います。一言でいうと憑依(ひょうい)の儀式。音楽や歌に合わせて踊っていると、Orixa:オリシャと呼ばれる多くの神々が聖職者や信者に取り付くのです。
サルバドール、カンドンブレ壁にカンドンブレの神々黒人密教儀式カンドンブレ
昔はこの儀式、信者以外には非公開でしたが、最近は観光客にも公開しています。そしてツアーはこの日儀式の行われるテヘイロへと向かいました。アキダバ(AQUIDABA)バスターミナル近くなので15分くらいで着きました。カンドンブレ教会といっても住宅街にある普通の家みたいでした。中へ入ると全身真っ白い服に包まれた女性達がいました。そして白い家の白壁にはキリストやその他の人形が飾られ、オリシャと呼ばれる神々の絵がたくさん描かれていました。
宗教儀式のため写真撮影は禁止ですが、儀式が始まるまでならOK!ということで中を撮影出来ました。カンドンブレの神々を少しだけ紹介すると、まず最高神オロドゥマレが運命と天地を造り、天と地の神から太陽と創造の神オシャラ(Oxala)と、海と死の神イエマンジャ(Iemanja)が生まれました。そしてこの2人から多くの神々が生まれたため「偉大な父と母」と呼ばれます。それぞれをイエス、マリアとして偽装崇拝してたそうです。
それぞれの神々には、象徴するもの、色、曜日、シンボルなどがあります。例えばオシュマレ(Oxjmare)は、雨と虹の象徴であり、黄色と黒、火曜、土と空を結ぶヘビがシンボルです。オグン(Ogum)は火や鉄や戦いの神で、青や緑、同じく火曜、シンボルは鉄剣。イアンサン(Iansa)は風と雨と情熱の神で、赤、水曜、シンボルは水牛の角のお守りや剣。エシュ(Exu)は運命や性欲や生命力の神で、赤と黒、月曜、杖がシンボルでこの世とあの世を結ぶ神。
儀式は19:30頃から始まりました。若者から年配の方までいろいろ。この日は女性中心でした。最初は踊り回りながら順番に年長者(マザー)の前へ行き挨拶します。ひざをついて手を取ったり、顔を床に付けたりとまずここから不思議な礼の仕方でした。その反対側では外に向かって吼える人までいます。最初はびっくりします。それから十数人が輪になって回りながら軽く踊ります。
バーハ要塞で子供達とサルバドールの海と町バーハ要塞のブラジル女性達
目をつむって歩く人もいますし、口でぼそぼそ独り言をつぶやく人もいます。急に部屋の隅や真ん中で腕立て伏せのような格好をして、額を床につけて「キィ-」という奇声を発する人まで出てきます。そしてついに神が憑依したような人が現れ、何かつぶやきながら奇妙な行動をとります。いわゆるトランス状態です。それが激しくなると手を引かれて、白いカーテンの奥の部屋へ連れて行かれます。
そんな奇妙な踊りが延々と繰り返されます。やがて身を清めるための草?を持って皆で清めあいます。私たち観光客の席にも来てはらってくれます。そして右と左で1回づつ抱き合います。そしてまた輪になって踊り出します。深夜早朝までずっと続くそうです。やがて欧米人団体ツアー客が帰りました。私たちもガイドに連れられて帰りました。最後に外から数枚なら写真撮影可だと言われて撮ったけど上手く写せなかったです。
それにしてもなんと不思議な儀式なんでしょう。こんな儀式を体験したのはもちろん生まれて始めてです。呆然としてしまいましたが、すばらしい儀式に参加出来たことに感謝。現在はともかく、奴隷時代の黒人たちにとっては、密かにカンドンブレの神に祈りを捧げることがわずかな抵抗でもあり、生きていることに感謝していたのだと思います。密教といったら暗いイメージがあるけど、信者はとても明るくて年長者や家族思いなのです。他の宗教を認めない人達からは悪魔崇拝にも思えるのでしょうが。
帰りのバスでは日本人男性が1人いました。アメリカで勉強(仕事?)してて休み期間で旅行に来てたらしいです。
バーハ要塞から夕陽とヨット夕焼けに映えるバーハ要塞バーハ海岸の夕焼け
9/5は、午前中から天気が良かったので町をぷらぷら散歩しました。晴れた青空の下で見るとこの町は教会も広場も本当にきれいなことが分かります。ところでその晩は何としても速いカポエイラのヘジオナル派を見たかったので、宿の人やインフォメーションなどの情報をもとにサンペドロ教会の裏辺りで毎週金曜夜に開催してるカポエイラ教室へ行って予約しました。
それから下町のリオブランコ宮殿裏にあるバス停から市バスでForte de SantoAntonio da Barra:バーハ要塞へ行きました。バスから見えるので降り場所も分かりやすいです。ここでカンドンブレの帰りに一緒になった日本人男性と再会したので一緒に要塞見学に行きました。この辺りは旧市街に対して新市街と呼ばれたり、海岸地域と呼ばれたりします。
バーハ要塞はサルヴァドールの町を防衛するために16世紀末頃に建造された、町では最古の建築物です。現在中は、バイーア海洋博物館として船に関する道具などが展示されています。灯台は19世紀のものだそうで、今でも利用されてるそうです。展示物には興味が沸かなかったけど、要塞から見る海沿いの景色はすばらしいです。でも要塞の外から見る海と要塞の合わさった風景の方がいいかも。
ちょうど夕陽の時間帯だったので地元民、欧米人観光客が芝生でのんびり海と太陽を眺めていました。天気も良かったので海に沈むとてもきれいなサンセットを見ることが出来ました。その後の夕焼けや、夕焼けに照らされた要塞、ライトアップされた要塞もきれいでした。帰りの市バスは要塞前から。上町へ行くつもりが下町に着いたけど、エレベーターに乗れたのでまっいいか。
かわいい子供もカポエイラカポエイラの足技は強そう太鼓に合わせてカポエイラ
18:30頃にサンペドロ教会裏のカポエイラ教室へ行きました。19時スタート。写真撮影可能ですが動画はNG。左右から1人づつが輪の中に入って戦います。最初は挨拶のような足技をよけあってダンスのようですが、だんだんスピードアップしてきてきます。そしてバク転から登場するなり、旋風脚のような形で地面に手をついて足を回転させる派手な技まで出てきました。手を地面に付けずに逆さ空中回し蹴りを見た時には、格闘技ゲームや陸奥圓明流とかを思い出しました。
この人達、本当にすごい!格闘技をしたら強いんではないかと思います。しかし手技や組み技がほとんどないため、K1とかでは勝てないんでしょうね。それにしてもこの運動能力には感嘆です。頭が下にあって空中で脚を回してる時って、恐くないんですかね。そしてこれらの技をよけてる相手もすばらしいです。パターンを覚えこんでると言えばそれまでですが、分かってても速い回し蹴りを冷静に避けるのは難しいかと。
この組み手が一番見ごたえありました。それが終わると1人1人の挨拶というか得意技披露。組み手の時よりすごい技を繰り出すのですが、相手がいないので迫力はいまいち。でもすごいけど。それが終わると観客への簡単レッスン。一般人があそこまで足上げて蹴るのは不可能です。一緒に踊ったりもしました。最後はまた組み手。棒で叩き合う組み手の後、激しい戦いを見せてくれました。
なんかだんだん贅沢になってきて、普通の回し蹴りでは満足出来ません。ジャンプして空中で技を繰り出し、それを避けながら手を地面に付いての回転旋風脚みたいな大技ばかりを見たくなるのです。カポエイラは若いと老いを問わず男性が多いけど、この教室には女性もたくさんいました。小さな子供もいて、足蹴りがかわいかったです。音楽についての解説もあって、ビリンバウを目の前で弾いてくれました。
弓楽器ビリンバウ美しい女性達もカポエイラカポエイラはすごい!
このカポエイラには本当に感動しました。前日のカンドンブレといい、カポエイラといいサルバドールでは全く新しい文化を垣間見ることが出来ます。これがアフリカとブラジルの融合文化、アフロ・ブラジリアン文化なのかも知れません。そして今日のカポエイラはアンゴラ城で見たものよりも私は気に入りました。思うに、儀式や型や舞踏を見たいのならアンゴラ派、格闘技を見たいならヘジオナル派ということなのかもしれません。見学は1人15レアル(約900円)。
9/6は、午前中は郵便局へ行き、日本への郵便物を送付しました。4.6Kgで132.2レアル(約8,000円。うち箱代6.2レアル)なのでボリビア、ペルーほど安くないけど思ったほど高くもなくて安心でした。その後、前日興奮したカポエイラを気軽に見に行きたかったので、下町の海沿いのメルカド・モデロへ行きました。ここでは午前中から午後にかけて毎日カポエイラが上演されてるらしいです。それは道場の宣伝のためと見物料獲得のためです。
近くで見物したり写真撮影してるとすぐ見物料を要求してきます。これが結構ウザイ。実際に見たいのだからその対価を支払うのは当然なのですが、10分くらいで終わる1グループごとに5レアルづつ払うのは割りに合わない気がします。でもカポエイラを見に来たのだから支払わないと見れないし、昨日撮影出来なかった動画撮影もしたかったし。ということで、見ごたえありそうなグループ1つにしぼって5レアル払うことにしました。
ところがここで誤算だったのが動画を収録したDVDを20レアルで買わないかと言ってきたこと。断ればいいのだけど、カポエイラDVDを20レアルなら安い気がしたし、どうせ5レアル払う必要があるなら、それも込みにしてもらおうという算段で購入しちゃいました。そして写真も動画も目の前で撮り放題♪。しかしお金を払う人が他にいないと分かると急にやる気のないカポエイラになってきて残念。。DVDもいまいちだったので失敗だったかも。前夜の方が断然良かったです。
毎日下町開催のカポエイラボンフィン教会のマネキンボンフィン教会の内部
それからエレベーター前からの市バスで、海沿いの丘の上に建つIgreja de Nossa Senhora do Bonfim:ボンフィン教会へ。約30分で到着。奇跡の教会とも呼ばれる前には、たくさんのリボン屋台があります。これはフィタと呼ばれるカラフルなリボンで、願かけして腕に結び、自然に取れた時に願い事が叶うというものです。リボンの色はカンドンブレの神々の色です。
教会の外観は普通の教会で、中の様子も見事だけど変わったところはありません。だけど奥には手や足や顔のマネキンがぶら下がっている異様な雰囲気の部屋があります。この教会では病気やケガに苦しむ人達が、体の悪い箇所のマネキンを天井から吊るすと奇跡で治してもらえると言われています。壁の多くの写真、手紙などはその感謝の印だと思います。なぜかテニスラケットまで飾られています。
教会見学後、近くのバス停から市バスで長距離バスターミナルへ行って、翌日発のバスチケットを購入しました。その日の夕食はサルバドールでは最初で最後の外食をしました。宿のキッチンが使いやすいのでずっと自炊だったのですが、せっかくなので名物バイーア料理を食べてみようと思ったのです。実はレンソイスやサルバドールでも何度か屋台で食べてた、あの干しエビ入り揚げパンもバイーア料理のアカラジェというスナックだったのです。
干しエビ以外に、ヴァタパーと呼ばれる豆のペーストや、ヴィナグレッチというタマネギとトマトのみじん切りなどが挟んでます。そしてデンデヤシの木から採れるAzeite de dende:デンデ油(パームオイル)で揚げてるのですが、この油はきつすぎて日本人にはお腹を壊す人もいるようです。しかしこのデンデ油こそがバイーア料理には欠かせないのです。これで揚げるときれいなオレンジ色になります。またその独特の味は他の油では代用することが難しいそうです。
ボンフィン教会アカラジェ売りのバイアーナバイーア料理バイキング♪
アフロ・バイーア料理とは、アフリカ、インド、ブラジル、ポルトガルの料理などが現地の食材と融合して出来たものです。サルバドールでは現地に豊富なシーフードをデンデ油とココナッツミルクなどで煮込んだムケッカという料理が最も有名です。3日前に魚市場で食べたポルキロにもありました。ムケッカはとても味が濃くてご飯にも良く合います。
この日食べに行ったのは、ペロウリーニョ広場にあるEscola Senacというレストラン。案内スタッフが上品で店内の内装も高級感あふれるので、場違いな気がして一瞬退出しそうになりました。でも常識的な服装なら大丈夫だと思います。穴あきTシャツとかじゃなきゃ(^^;。この店、なんとバイーア料理とデザートが28レアル(約1700円)で食べ放題のバイキング♪
飲み物は別料金なのでブラジル名物のカイピリーニャ(上参照。4レアル)にしました。バイーア料理は味が濃いため、実はあまり食べ放題には向きません。何回かに分けてポルキロで違う種類を食べた方が得だと思います。しかし1度の食事で10種類以上ものムケッカを食べるにはバイキングが最適です。しかもポルキロと違って重そうなシーフードを気にせずに取れるのはバイキングならではかも(^^;
ムケッカは魚介類たっぷりで本当においしいです。ムケッカ以外にもアカラジェを代表する揚げ物の種類が多いのもバイーア料理の特徴です。しかしこの油攻撃のおかげでいつもほどは食べられませんでした。でもこの後のデザートもバイキングなので別腹で復活!パパイヤ、メロン、パイン、スイカなどの新鮮フルーツ、ココナッツミルクや卵黄のプリン、あんず、バナナなどの煮詰めフルーツなど盛りだくさん。もう本当に満足満足♪で食べ終わりました。
ブラジル名物カイピリーニャバイーア料理名物ムケッカデザートも食べ放題♪
9/7は、夜行バスだったので午前中にチェックアウトするつもりだったけど、出発時間まで宿を使わせてくれました。レンソイスの宿でもそうでした。今は空いてる時期ということもあるけど、ブラジル人の親切さには日本人も見習うべきだなと思います。昼間は最後のサルバドールの町をぷらぷら歩いて別れを告げました。
後で振り返ってみてもブラジルの中ではサルバドールが一番面白いし好きです。夕方に宿を出て、アキダバ(AQUIDABA)から市バスでバスターミナルへ向かいました。これなら2レアル。ちなみに宿からタクシーだと20レアル以上するそうです。そしてレシフェ行きの長距離夜行バスに乗り込みました。
Obligado(オブリガード。ポルトガル語)「(最後まで読んで頂き)ありがとうございます」
Boa Noite(ボア、ノイチ。ポルトガル語)「おやすみなさーい」(-_-)zzz「コテッ」

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